観光化された“ニッポン文化”があふれかえる昨今、とにかく“本物”を体験したいと考える旅行好きも多いのではないだろうか。

 そんな人におすすめしたいのが、日本の魚文化を支える最前線に立ち会える漁船体験。それも本物の定置網漁船に乗り、漁業の現場を目の前で体感できる場所があるのだ。

美しい朝焼けを眺めながら…… ©文藝春秋

おそらく日本でここだけの体験

 能登半島のくびれたあたりに位置する石川県七尾市崎山地区。富山湾をはじめ、三方を海に囲まれたこの小さな半島には、昔ながらの日本の里山里海の風景が広がり、能登の地域文化が色濃く残る土地である。

 今回、ガチの漁船に乗せてくれるのが、(株)鹿渡島定置。1992年から崎山地区を拠点にして大型定置網漁を行っており、代表の酒井秀信氏は、定置網界のカリスマ的存在である。

 現在、漁船体験ができるところは各地にあるが、本物の大型定置網漁に同行できるのは、おそらく日本でもここだけ。極めて貴重な体験なのだ。

猛烈な眠気をこらえながら港に到着すると、光り輝く一隻の漁船が…… ©文藝春秋

 集合時間はなんと午前2時40分。小さな漁港に到着すると、一隻の漁船に明かりが煌々と灯り、すでに漁師たちが出漁準備を進めている。漁業の現場といえば、荒っぽい男の世界を想像しがちだが、ここには殺伐として張り詰めた空気はない。そして、代表の酒井氏も非常に穏やかなお人柄だ。

若い漁師が活躍、ボーナスでハワイ旅行にも

 船上での仕事はもちろんのこと、上下関係なども厳しい漁師の世界。酒井氏は、自身の若いころの不満や悔しい思いを忘れずに、自ら興した会社では教育制度やボーナス自己申告制度などを導入した。高齢化が危機的に進む漁業の世界だが、鹿渡島定置の平均年齢は約35歳。若い漁師が活躍する網元である。

 漁場へと向かう船内でストーブにあたりながら雑談に応じてくれる酒井代表。

「休みは、毎週日曜と祝日。あと、水曜日もときどき。それ以外はほぼ毎日漁に出ますね。大漁で儲かった年には、ボーナスとして社員みんなでハワイ旅行に行ったりもしますよ」

闇夜を舞うカモメの群れ。漁船に乗らないと出会えない幻想的な光景 ©文藝春秋

海底環境を壊さないサステナブルな漁法

 そんな会話をしながら外をみると、いつの間にかたくさんのカモメが船を取り巻くように飛び交っている。闇夜に浮かびあがる白いカモメの幻想的な光景に驚くばかりだ。

 しばらくして、定置網を仕掛けた漁場に到着。引き揚げが始まる。

 海中に全長数百メートルにも及ぶ網を沈め、回遊する魚を獲る定置網漁。漁船で魚を追いかける巻き網や、海中生物を根こそぎ獲る底引網とは異なり、網に入り込んだ回遊魚のみを水揚げすることから、魚を獲り過ぎず、海底環境も壊さないサステナブルな漁法なのだ。 

網を巻き上げる作業に集中する酒井氏 ©文藝春秋

 この漁船体験では、見学だけでなく、実際に定置網を引き揚げる作業に参加することも可能だ。

「そっち弛んでるから引っ張って!」「腰と背筋をまっすぐに。腰を痛くするよ!」などの声が飛び、すっかり見習い漁師気分。最近ここまで一生懸命に何かをしたことがなかった、と思う間もないくらい作業に集中しているからか、先輩漁師さんたちの指示やアドバイスに「はい!」と従っている自分が、なんだか少し心地よかったりもするから不思議だ。

 やがて網の中に魚影が見えはじめ、そしてザザーっと水音をさせて網が上がる。まさに感動の瞬間である。