冬の山陰地方といえば、荒れ狂う日本海に雪景色――。そんな勝手なイメージがあったが、羽田空港から1時間半のフライトを終えて12月中旬の萩・石見(いわみ)空港に降り立つと、予想は良い意味で裏切られた。むしろ東京よりも心地よいぐらいの陽気だ。沿岸の対馬暖流の影響もあり、島根県西部・石見(いわみ)地方の気候は1年を通じて比較的おだやかだという。
県内の移動にはレンタカーが便利だが、現在、萩・石見空港の利用者には2日間2000円でレンタカーを借りられるというお得な割引キャンペーンがある(利用に際しては条件あり。詳しくは、公式ホームページを参照のこと)。
晴天のもと、海沿いをドライブすること約30分。道の駅「ゆうひパーク三隅」に到着する。2021年にリニューアルオープンしたばかりの施設には、カフェやうどん屋さん、お土産物店が入っており、高台から日本海を見わたすと絵葉書のような絶景が広がる。海辺を走るJR山陰本線の撮影スポットとしても有名だという。
太陽の光が降り注ぐと、海の色が幾重ものグラデーションになって輝く。これが「山陰ブルー」。透明度が高いため、手前の浅瀬は白い海底が透き通って見える。
イカは、プチプチとはじけるような食感
絶景を堪能したあとは、ご当地ならではのグルメで舌も楽しみたい。
向かったのは益田市にある「田吾作」。……なのだが、本当にここで合っているのだろうか? 思わずそう不安になってしまいそうな街はずれの住宅街に、田吾作はポツンと一軒あった。かつては旅館だった建物をリフォームしたのだという。
レトロな下駄箱に靴を入れていると、階下から煮物のいい香りが漂ってくる。
ランチのおすすめ、アジ丼とイカ丼を頼んだ。丸々と太ったアジを1匹まるごと使った丼は、アジを掘っても掘ってもなくならない。おどろくほどの層の厚さだ。地元・益田で水揚げされたものだという。
「うちは、よそのものは使わない。(海の)しけが多いと、あるものでしかやらないから……」
と語るのは店主の志田原耕さん。毎晩、イカ漁船からその日の成果について電話がかかってくるという。今朝獲れたばかりの透明感のあるイカは、プチプチとはじけるような食感。イカの種類は季節によって変わり、この日はマイカ(ケンサキイカ)だったそうだ。
ただし、どのメニューを食べることができるかは海況による。イカが上がらない日には、イカ丼は涙を呑んであきらめるしかない。
「いつもお客さんに言ってるんだ。食べられる人は日ごろの行いがいいね、って」。厨房に立つ志田原さんは、そう語って陽気に笑った。
「ビールが好きすぎて」移住
その田吾作からもほど近く、益田市の中心部を流れるのが高津川。国交省の水質調査で「清流日本一」の評価を受けたこともある川のほとりに、築160年の古民家を改造した高津川リバービアの醸造所がある。2021年2月にオープンしたばかりの高津川リバービアは、現在6種類のクラフトビールを製造している。
和ヴァイツェン、益田マスカット、吉賀茶エールなど、清流の水と地産の名産品を生かしたクラフトビールは、どれもさわやかな味わいだ。ビンやロゴのデザインもあか抜けた印象がある。
代表取締役の上床絵理さんに話を聞くと、「ビールが好きすぎて、自分の好みのビールが作りたい!」という一念から、特に縁もゆかりもなかったこの地に、1年前にふらりと移り住んだのだという。もともとは会計検査院で国家公務員として働いていたが、「夢」を実現するためにゼロから醸造所を立ち上げた。
ビールを仕込むブルワーは、「たまたま知り合った」(上床さん)という埼玉県在住だった男性。「ビールが作れるならどこでも行きます!」と、これまた島根県に居を移した。あまりにドラマチックな展開に追いつけなくなりそうだが、上床さんの目標はあくまでも「本物」をつくることにある。
「いまは、地元の方がお土産用に買ってくださることも多いですね。いずれは、この子たちを海外でも販売していきたいです」
INFORMATION
住所:〒698-0041 島根県益田市高津2-1-18
TEL:0856-32-9641
営業時間:10:00-17:00(水~日曜日) ※月・火定休(不定休あり)、生ビールの提供は土日祝のみ
だし汁のやさしい味わいが沁みる
クラフトビールだけではない。島根県は「日本酒発祥の地」と呼ばれるほどの酒どころ。新鮮な魚介類に美酒が合わされば、ついつい杯が進んでしまうが、二日酔いの朝にもぴったりな郷土料理がある。それが島根県津和野町に伝わる「うずめ飯」だ。
一見すると山葵だけが乗ったお茶漬け。底からしっかりかき混ぜると、たっぷりの具材が合わさる。うずめ飯は、そんな2つの表情を持っている。決して世間的な知名度が高いとは言い難いが、大人気グルメ漫画『美味しんぼ』で取り上げられたこともあり、一部の間ではよく知られた料理といえる。
だし汁のやさしい味わいが、身にも心にも沁みる。はたして、この「丼」はどのようにして生まれたのだろう。長年、津和野町でうずめ飯を提供している「株式会社沙羅の木」代表取締役社長・山尾衛一さんに聞いた。
「具が“うずまっている”状態で提供されるから“うずめ飯”と呼ばれています。誕生の由来は諸説あるんですが、江戸時代に倹約令が敷かれたとき、具がたくさん入った状態のご飯をそのまま食べるとバレてしまうので、うずめて隠してこそこそ出していた……という説があります。深川めしや、かやくめしに並んで“日本五大名飯”という、日本を代表する米料理にも選ばれました」
食欲を刺激するノドグロの香ばしさに…
そして、石見地方の味覚を代表する魚といえば、ノドグロ(正式名称は「アカムツ」)。
島根県沖には脂質の多いプランクトンが多く生息しており、このためノドグロなどの魚は脂が乗っているのだという。なかでも、浜田漁港で水揚げされたものは「どんちっちノドグロ」としてブランド化されている。
ならば浜田漁港に向かうしかない。2021年7月にリニューアルオープンしたばかりの「はまだお魚市場(山陰浜田港公設市場)」の2階にある「めし処ぐっさん」は、地元の方も口を揃えておすすめするノドグロを提供してくれる。
食券機で「のどぐろ炙り丼」を頼んで待つこと数分。出てきた丼には、白米の上にキラキラと輝くノドグロが敷き詰められていた。皮目をあぶってあるため、食欲を刺激する香ばしさにノックダウンされそうになる。
「ノドグロは、もともと浜田でも高級魚ですね。県外から息子さん、娘さんが帰ってくるようなお祝いの席などでよく食べられていたようです。丼に使用しているノドグロは、基本的には脂が乗っている浜田産。どうしてもないときも、山陰沖のものを使うようにしています」(山口隆店長)
確かに市場でも1尾1700~2500円程度で売られており、産地だから安いというわけではない。それでも、この値段でノドグロを「腹いっぱい」食べる機会など東京ではありえないだろう。
〆には、ノドグロの濃厚なだし汁をかけて、ひつまぶしのような“味変”を楽しめる。思わず丼をわしづかみにして、最後の一口まで勢いよくかきこんでしまった。まったく別の一品に進化するだけに、あますところなく堪能できるように「ごはん大盛りは無料です」(山口店長)という配慮まである。
INFORMATION
住所:〒697-0017 島根県浜田市原井町3050-46 はまだお魚市場2F
TEL:070-5301-3893
営業時間:10:00~15:00(火曜定休)
「具」が多すぎてご飯が足りなくなる
浜田市の中心部からはやや離れるが、鮮魚店「お魚のなかだ」もユニークな海鮮丼を提供している。毎朝、浜田港で仕入れた魚介類をこんもりと盛った丼は極上の味わい。10種類のネタの中から好きなネタを選べる「7種盛り」(ランチタイムのみ)、もしくは旬の魚が盛りつけられた「おまかせ海鮮丼」がおすすめだ。
昼どきはイートインスペースで食べることができ、またテイクアウトも可能だが、驚かされるのはその量と鮮度。海鮮丼に乗っているボリューム感のある刺身は、すべて注文を受けてから切っているというから驚きだ。また、刺身1:ご飯1ぐらいのペースで食べていると、「具」が多すぎるためご飯が足りなくなってしまう。刺身2:ご飯1ぐらいが適正な配分か。ご飯は大盛りにしてもらおう。
常に「できたて」を提供するために、やや時間がかかってしまうのは難点だが、それに見合うだけの価値は十分にある。
INFORMATION
住所:〒697-0003 浜田市国分町1981-186
TEL:0855-25-5065
営業時間:10:00〜19:00(月曜、最終火曜定休) ※イートインは11:00~14:00(LO)
魚のポテンシャルは無限大になる
石見地方では、ご当地定番グルメを「石見の神楽めし」として売り出している。なかでも海鮮丼は「えびす丼」と銘打たれ、各地で趣向工夫を凝らしたメニューが展開されている。その主役は言うまでもなく新鮮な魚介類だが、大盛りのどんぶり飯をペロリと平らげさせるあたり、実に悪魔的な存在であった。コメと合わさることで、魚のポテンシャルは無限大になると実感した山陰紀行だった。
写真=山元茂樹/文藝春秋