「辻占(つじうら)」をご存じだろうか。

 謎めいた「お告げ」のような言葉が書かれた紙片が封入されている、ピンク、黄色、緑のパステルカラーで縁取られた米菓子のことで、いわば元祖フォーチュンクッキーだ。お正月に各自が3つずつ開けて、出てきた言葉を組み合わせてその年の運勢を占うのだという。

すべて手作りで生産される「辻占」
すべて手作りで生産される「辻占」

辻占に入っている紙は約100種類

 小松市をはじめとした南加賀地方のお正月には欠かせないが、同じ石川県内でも金沢市や能登地方では存在を知らない人も多い。

 そんな辻占の製造を一手に引き受ける有限会社長池製菓の長池正さんに聞いた。

「この地域には江戸時代から辻占があったそうです。うちの辻占に入っている紙は約100種類。昔から変わっていません。お正月に家族そろって楽しむ風習で、占いというよりは言葉遊びに近いかもしれませんね。もちろん我が家でも毎年やっていますよ」

長池製菓の長池正さん
長池製菓の長池正さん

 どんな言葉が書かれているのか、実際にいくつか見せてもらった。

〈うぬぼれがつよい〉

〈何事も要心〉

〈おもいがかのう〉

 パッと見では意味がとりづらい言い回しも少なくない。思わせぶりな表現をうまく“解釈”して、各々が自分だけのストーリーを考えることに辻占の魅力があるのかもしれない。

この3つをつなげると、どんな意味になるのだろうか
この3つをつなげると、どんな意味になるのだろうか

 長池製菓が製造している辻占の数は、毎年約3万パック。1つのパッケージに12個入っているので、ざっと40万個ほどの辻占を生産している。卸売りもしており、12月になると、長池製菓の店舗「長池彩華堂」だけでなく市内のスーパーなどでも売られている。小松市の人口が約11万人なので、単純計算すると市民全員が少なくとも1回は(3つで1セットの)辻占を消費していることになる。

 11月中旬、長池製菓の工場を見学すると、辻占づくりはまさに佳境を迎えていた。

 三角柱状の生地を薄く切る人、それを並べる人、そして丸められた紙片を手際よく包み込んでいく人。流れるような作業で工芸品のような美しさのお菓子ができあがってゆく。

素早く、正確に。プロの技にうならされる
素早く、正確に。プロの技にうならされる

三角形の生地をつまんで成形してゆくのだが…

「毎年この時期になると手伝ってくれているベテランの方だと、1日につくる量が1000個ぐらいでしょうか。5時間ほど働くので、時速換算で200から300個ぐらいだと思います。試しにつくってみますか?」

 お誘いをいただき、手を消毒して辻占づくりにトライしてみた。

最初は不格好な辻占だったが……
最初は不格好な辻占だったが……

 当然のことながら、プロのスタッフは「売り物」のクオリティで一つひとつの辻占を作ってゆく。簡単そうに見えても、記者が真似してみると不揃いで不格好な辻占になってしまう。三角形の生地をつまんでマキビシのように成形してゆくのだが、それぞれの辺の長さが違ってしまったり、輪のかたちがいびつになってしまう。

 それでも、「辺の中央を3カ所、ギュッとしてください」「開いている部分は、後からでも調整できますよ」とアドバイスをいただきながら試行錯誤してゆくと、段々ときれいな辻占になってゆく。

これはわりとうまくできたのでは?
これはわりとうまくできたのでは?

 できあがった12個の辻占は、製品用の機械でパッキングしていただいた。現在のパッケージは、5年前に九谷焼窯元の上出惠悟さんがデザインをリニューアルしたもの。彩りのある辻占にマッチしている。

 長池さんは「最初はピンとこなかったんですが、社内では『絶対にこれがいい!』という声が大きくて。いまでは、このデザインを選んでよかったと思います」と語る。

パッケージには「辻占が なくては ならぬ」と書かれている
パッケージには「辻占が なくては ならぬ」と書かれている

 実はこの辻占づくり、小松市で2022年11月に行われた「GEMBAモノヅクリエキスポ2022」(以下、GEMBAモノヅクリエキスポ)で提供されたプログラムの一部を体験させてもらったもの。GEMBAモノヅクリエキスポでは、地元の職人と二人三脚でモノを作る“まるで修行”な体験から、家族でDIYに挑戦できる体験まで、合計50ものコースが提供されていた。長池製菓では、市内外から訪れた110人ほどが辻占づくりを楽しんだという。

講師役のスタッフは「いつもは一人で作業をしているので、参加者の方に説明するのは楽しかったですね」と語る
講師役のスタッフは「いつもは一人で作業をしているので、参加者の方に説明するのは楽しかったですね」と語る

コマツが社内食堂を置いていない理由とは

 小松市は、大手建設機械メーカー・小松製作所(コマツ)発祥の地として知られる、ものづくりの街。GEMBAモノヅクリエキスポの運営を担った「こまつものづくり未来塾」の実行委員長・小倉久英さんは、プロジェクトの狙いをこう語る。

「金沢の観光で終わるのではなく、お客さんに小松にも降りてほしかったんですよ。現在、コマツさんは新入社員研修を小松市でやっているのですが、あえて社内に食堂は置いていないそうです。街に出て、地元の人と同じものを食べるように、という発想だとか。

 そういった企業と観光を結びつける試みが、地域の活性化につながるのではないかと考えています。GEMBAモノヅクリエキスポも、年に1度ではなく、いずれ通年でやりたいですね」

「こまつものづくり未来塾」の実行委員長を務める小倉織物の小倉久英さん
「こまつものづくり未来塾」の実行委員長を務める小倉織物の小倉久英さん

 小倉さんは、自身も明治28年に創業された小倉織物株式会社を営んでいる経営者だ。5代目になる小倉社長は「先代までは、得意先にも織機は見せなかったんですよ」と笑う。工場を公開した意図は何だったのだろうか。

「『織物ってどうやってつくるの?』という知識欲を資源にしたいなと」

 小倉織物は知る人ぞ知る老舗で、世界中のトップメゾンから発注を受けている。ここでしかつくれない生地、ここにしかない技術が数多くあるという。最近の特筆すべき実績としては、東京五輪の大会公式スカーフを手掛けたほか、迎賓館の改修に合わせて絹薄地カーテン生地を納品したり、約30万円で売り出されたヨウジヤマモトと『鬼滅の刃』のコラボ商品・ポンチョ風コートなどをつくっている。

小倉織物は明治28年創業
小倉織物は明治28年創業

そうやって記憶に残っていけば…

「『鬼滅の刃』はすごかったですね。都内では銀座シックス、渋谷パルコ、原宿ラフォーレで販売されるということで、子どもたちと一緒に店頭を見てきました。私たちの織機は昔ながらの機械なので、使いこなせる人も保守点検できる人も少なくなっています。『日本で最後の織機』なんて言っていますが、ベテランが元気でやっているうちは続けていきたい。

 でも、GEMBAに参加してくれた方も、普段からうちの工場に興味を持ってきてくれる方も、若い方が多いですね。ファッションに関心があるのでしょうか、みなさんとても真剣ですよ。そうやって記憶に残っていけば、私たちとしてもやりがいがあります」

 実際に小倉織物の工場をご案内いただいた。ボビンから出される大量の生糸、リズミカルな反復運動が小気味よいシャトル、どこか動きがかわいい織機たち……。そこには、ものづくりの確かな熱と質量があった。GEMBAモノヅクリエキスポでは、レトロな工場見学に加えて、デッドストックになっていた生地の小売りを行ったという。

織機の音が響きわたる
織機の音が響きわたる

 社会科見学といえば、なんとなく小学校のころの記憶がよみがえる。しかし、決められたコースをお勉強として回った小学生時代よりも、より物事を理解できる大人になってからの方が、あきらかに社会科見学は楽しい。そう実感できた工場ツアーだった。

「“昭和のものづくり”でやってきた会社ですが…」

 GEMBAモノヅクリエキスポには、中間素材のサプライヤーも数多く参加している。金属製の間仕切りの部品などを生産しているダイエー株式会社の白栄洋和さんが語る。

「工場をそのまま一般の方に見せて大丈夫なのかと思われるかもしれませんが、うちは以前からグーグルストリートビューで敷地内をすべて公開しているんですよ。もともとオープンにやっています」

ダイエーの白栄洋和さん
ダイエーの白栄洋和さん

 小松市内には大手メーカーが多いため、その生産にかかわる中小規模の企業も発展してきたという経緯がある。ダイエーもそのひとつで、金属加工の設備を利用してGEMBAモノヅクリエキスポ参加者がアウトドアグッズを自作できるプログラムを提供した。

プレス機で金属を加工する
プレス機で金属を加工する

「“昭和のものづくり”でやってきた会社ですが、最終製品ではない部品を製造しているだけに、仕事が作業のようになってしまい、『自分が何をつくっているかわからない』という思いが一部にありました。新しい刺激がほしいと考えていたなか、GEMBAモノヅクリエキスポの趣旨に賛同したのです。

 もちろん来てくださるお客さんに楽しんでほしいですが、まずは従業員に楽しんでほしい。それが、ただ単に仕事をするという以上のモチベーションになりますし、生産性の向上にもなるのではないかなと。熱心な参加者が多かったこともあって、従業員の説明にも熱が入っていました」

火花が散るレーザーカッター
火花が散るレーザーカッター

 2024年春には北陸新幹線の延伸にともない、小松駅にも新幹線が停車するようになる。交通の要衝、製造業・物流ネットワークの拠点にとどまらず、「訪れたい街」「楽しめる街」としての小松市の進化から目が離せなくなりそうだ。

写真=深野未季/文藝春秋