仕事、家庭、お金、将来──年齢を重ねるにつれて、抱えるものも増えていく。そんなタイミングでもしも突然、がんを告知されたら…? 白石大樹さんと柴巴菜(はな)さんは、キャリアが軌道に乗り始めた頃にそれぞれ甲状腺がん・白血病と診断され、人生が大きく変わったという。がんと向き合ったことで人生を見つめ直した二人の経験が、あなたの備えに役立つかもしれない。

「まさか自分が…」若くしてがんを告知された日

――まず、ご自身ががんだと分かったときのことを教えてください。

白石 27歳の12月25日、ちょうどクリスマスの日に甲状腺がんを告知されました(苦笑)。24歳で、難病指定されている潰瘍性大腸炎に罹患したのですが、ジムに通って体を鍛えたりするところまで回復し、機械加工の会社に転職したばかり。一からやり直し、張り切って仕事をしていたときだったので、自分ががんになるなんて信じられませんでした。

 実は前年に39℃台の高熱が続いて、かかりつけ医で甲状腺の腫れが見つかっていたんです。大学病院での精密検査を勧められていたのに、東日本大震災後の混乱や転職で忙しくて、つい後回しにしてしまって……。2012年の年末になって、ようやく大学病院を受診したら、過去のデータを見た医師に「検査を受けるまでもなく、がんで、ほぼ間違いないでしょう」と告げられました。

白石大樹さん(39歳)大学卒業後、24歳で潰瘍性大腸炎に罹患。27歳で甲状腺がんを告知され、転職後の試用期間中だった機械加工会社を事実上解雇された。寛解後、介護職に携わりながら作業療法士の資格を取得。現在は訪問看護で作業療法士として働いている

 私は28歳の時でした。研究開発の仕事をしていたのですが、更なるやりがいを求めて転職したばかりで、やる気に満ちていた頃です。両足の膝の裏あたりに大きなあざができて、なかなか治らなかったんです。個人病院では「ぶつけただけでは?」と軽く扱われたので、それほど気にしていませんでした。でもなかなか治らなかったので両親の勧めもあって、近所に新しくできた総合病院を受診したのです。すると血小板の値が異常に低く、白血球が多いとのことで、その場で骨髄検査を受けて、白血病と診断されました。思い返せば、疲れやすくなっていたのですが、転職して通勤距離が長くなったせいかなと思っていました。

柴 巴菜さん(仮名・34歳)大学院卒業後、研究開発の仕事に就き、更なるやりがいを求めて転職した28歳の時に白血病に罹患。9か月間の休職後に復職したが、勤務形態で条件が折り合わず転職。現在は調香師として働きつつ、病気に理解のあるパートナーと結婚生活を送っている

――がんだと知らされた瞬間はどう感じましたか?

白石 僕の場合は自分の身に起こったことだとはとても信じられず、その場では意外に冷静でした。今思うと、単に不安を抑え込んで強がっていただけだったのだと思いますが……。

 付き添いの母の方が、骨髄検査を待っている間に不安になってしまって、倒れてしまい、少し騒ぎになりました(苦笑)。私も、出血が止まらないのでベッドにうつ伏せのまま、「急性前骨髄球性白血病」と告知されて、母と2人で号泣してしまいました。ドラマで見る“死に至る病”というイメージが強かったからだと思います。

 でも担当医が詳しく説明してくれて、白血病とひとくちに言ってもいろいろな種類があること、私の場合、受診がもう少し遅れていたら命に関わる状態だったけれど、大事になる前に発見できて幸運だったと言われました。それで少し落ち着けたんです。ただ「すぐに処置しないと危ない」という状況だったので、ポシェットひとつでごく軽い気持ちで来ていたのに、そのまま入院。展開が早過ぎて気持ちがついていきませんでした。

その時、上司はなんと言ったか

――告知を受けて治療を始めると、それまでの生活が変わりますよね?

白石 告知された当時は転職して4か月目の試用期間中だったこともあって、手術で会社を休むことをまずは早めに相談しようと思い、12月27日の仕事納めの日に上司に伝えたんです。上司はその場では「上に掛け合う」と言ってくれたのですが、その後すぐに別室に呼ばれました。そして会長、社長、総務の3人に囲まれて、「悪いが、正社員にする話は無しにする」と、文面も用意されていた退職届にサインするよう求められました。

 後からいろいろな方に「明確な労働基準法違反だから拒否すればよかったのに」とアドバイスをされたのですが、その時は、冷静に判断できる状況でもなく、がんになった自分を責めてしまって、言われるがままサインすることしかできませんでした。

 私の場合は同僚にLINEで「当分出社できなくなりました」と連絡したところ、翌日、上司が病院に駆けつけてくれました。私はその段階では、できれば詳しい病名は伝えずにいたかったのですが、父親が病名と治療方法が書かれた(医師が作った)紙を渡してしまったのです。

 幸い会社は「仕事のことは気にせず治療に専念してください」という温かい対応をしてくださったので、特に届けも出さずにそのまま休職に入りました。1月末に入院、9月に退院し、11月から復職しました。白石さんとは、かなり状況が違いますね……。

白石 本当に。僕も、最後の挨拶回りくらいはしたかったのですが、会長にすぐ帰るように言われたのもつらかったです。帰り際に何も知らない同僚に「来年もよろしくね」と声をかけられた瞬間、それまでの強がりがプツンと切れてしまいました。病気の怖さ、人の怖さ、社会の怖さ、いろんな怖さが一気に湧き上がってきて、帰りの駅のホームの端で、人生でこんなに泣いたことがないというくらい泣きました。

 帰宅してから両親に経緯を伝えたところ、母親が泣きながら「そんな体に生んでごめんね」と謝るんです。その言葉を聞いたとき、「母にこんな思いをさせないよう、自分がしっかりしなくては」と痛感し、そこで気持ちを前向きに切り替えられたと思います。

がんになっても、生きていくにはお金がかかる

――ただ、大きな病気になって離職したり、休職中だと、金銭的な不安も生まれますよね?

白石 治療費の説明はほとんどなく、差額ベッドの料金くらい。治療の内容や経過によって異なるからかもしれませんが、こちらは不安でしかたありません。僕は無職の状態での入院だったので、正直、保険が下りるまで気が気ではありませんでした。医療費にも、交通費、入院中の日用品など、意外とお金がかかります。

入院時の白石さん。いろいろ考える余裕はなかった

 幸いにも保険には入っていたのですが、加入時には、きちんとした知識もなく、営業マンに薦められるまま入ってしまっていたので、がんを対象にしていたかどうかも、よくわかりません。保険は、かなり高い “買いもの”ですから、もっときちんと中身を把握し、熟慮してから入るべきだったと反省しています。

 私の場合は、会社に籍はあったので社会保険料はかかるのに、給料は出ない状態が不安でした。ただ、私も社会人になったタイミングで入った医療保険に、特約としてがんや女性疾病などを付けていたので、治療費をまかなえたと思います。でも、加入したときには、自分がそうした病気に20代でなるというイメージがなかったので、「常識的にこれぐらいあればいいかな」という程度の軽い気持ちでした。白石さんがおっしゃるように、もう少し勉強してから入る必要があったと思っています。

白石 がんになってからは、「生きていくにはお金がかかる」と日々、実感するようになりましたね。手術費や入院費以外にも予想外にお金がかかることが多いので、僕のようにお金の心配をしながら闘病せずに済むように、健康な時から備えておくことは重要だと思います。

 

がんと闘うとき、強いのはどんな人?

――がんを経験したことで、仕事や人生に対する見方が変わったことはありますか?

白石 がんを告知された頃、僕は機械加工の道を究めたいと思っていたのですが、寛解してからは、ヘルパーの資格を取得し介護士の仕事に就きました。その後夜間の専門学校に4年通って作業療法士資格を取得し、現在は作業療法士として働いています。

 患者と医療従事者、両方の立場を経験して気づいたのは、医療従事者って病気や症状ばかり見て、その人自身を見ていないことが多いんじゃないかということ。私は人に真摯に向き合いたい。がんになった時に人の冷たさを痛感したからこそ、優しさを大切にしたいという気持ちが強くなったのかもしれません。

 私も復職後に転職しました。がんで「治療がうまくいかなければ死んでしまうかもしれない」と、初めて死というものを身近に感じ、人生の残された時間は有限なんだと強く実感しました。

 復職してから前のような仕事をさせてもらえず、やきもきしていた私は、仕事の時間を無駄にすることなく、自分が本当にやりたい仕事で価値を提供したい。そう感じるようになり、今は、調香の仕事をしながら、経過観察の通院をしています。限りある人生だからこそ、自分らしく働きたい。それが今、仕事をする上での大きなモチベーションになっています。

白石 私も、がんになってとことん落ち込んだからこそ得られたことが、多々あります。大事なのは、落ち込んだ時にそこから何を得るか、ではないでしょうか。

 もし働き盛りの年代で私のようにある日突然、がんを告知されたとしたら、すぐには気持ちがついてこないでしょう。でも、気持ちが前に向かないと、薬も効きにくいし治療もうまくいきません。多くのがん患者の方にお会いして、「がんと闘うときに強いのは、自分なりの揺るがない生き方を普段から持っている人だ」とつくづく思いました。

 不安を一人で抱え込まず、少しずつ発散したり、言葉に出したりすることも大事だと思います。頼れる人がいたら、たくさん頼ってもいいのではないでしょうか。私の場合、入院中、大きな犬のぬいぐるみを病室に飾っていました。愛犬はすでに亡くなっていたのですが、「健康になって、これぐらい大きい犬とまた一緒に暮らすぞ」と自分に言い聞かせることで、治療を頑張ることができたように思います。

柴さんの入院中は、大きな犬のぬいぐるみが心の支えに

白石 病気になることで就労出来なくなることを心配する人が多いですが、今は進行度合いや治療方法によって、通院での治療が出来る場合があります。治療方法によっても家族構成によっても、必要となるお金は変わってきますし、働けないと収入を得られなくなりますから、給料以外の収入があると、将来の不安も少し軽くなるのではないかと思います。

 健康なうちから、あるいは若い時から、お金にまつわる知識と理解を深めていくことが、いざという時に自分や大切な人の力になると思います。

いざという時の備えを考える
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