インターネットとSNSの普及、そして生成AIの登場により、報道やジャーナリズムを取り巻く環境は激変している。この変化の時代に、ジャーナリズムはどう進化するべきなのか。インターネット報道の功罪、そして新たなテクノロジーがもたらす未来の可能性とは。LINEヤフー代表取締役会長・川邊健太郎氏と文藝春秋総局長・新谷学が「AIとジャーナリズムの未来」をテーマに、プラットフォームと媒体社それぞれの立場から本音で語り合った。
司会●村井弦(「文藝春秋PLUS」編集長)
今は「ファクトが勝つか、エモさが勝つか」の瀬戸際
――長年ジャーナリズムに携わってきた身として、新谷さんは現在のインターネットとジャーナリズムの状況をどのように捉えていますか?
新谷学(以下、新谷) インターネットの普及によって、ジャーナリズムのあり方や受け止められ方そのものが大きく変わってしまったと思います。たとえば、言論の自由や表現の自由をどこまで認めるか。今あるルールはインターネット以前に作られたものなので、それを現代にそのまま適用するのは難しくなってきていると感じます。
コンテンツを作る側と、それを視聴者や読者へ届けるプラットフォーマー側とがしっかりと議論し、今後どういった言論空間を作っていくのかを考えなければいけない。大きな変化の時代の真っただ中にいるな、というふうに思いますね。
――プラットフォームの立場から見て、川邊さんはどのようにお考えですか。
川邊健太郎(以下、川邊) Yahoo!ニュースの編集部では、「ニュース」を扱うのか、広く「インフォメーション」まで扱うのかをよく議論していました。「ニュース」はいわゆるジャーナリズムで、面白味のないものまで含めて、ファクト(事実)が一番重要です。一方で「インフォメーション」は“情報”ですから、“情に報いる”、つまりエモーショナルなものや感想など、雑多な情報も含みます。
1974年、東京都出身。青山学院大学在学中に「電脳隊」を設立。2000年に当時のヤフーに入社後、Yahoo!モバイル担当プロデューサー、株式会社GYAO代表取締役を経て、2018年にヤフーの代表取締役社長・CEOに就任。2023年より現職。
SNSではこれらがないまぜになっているのが大きな特徴です。今はファクトが勝つかエモさが勝つかの瀬戸際で、多くの人が参加すればするほど “エモさ”の方が勝つ状況になっている。これが一つ目のポイントだと思います。
新谷 アテンションエコノミーという言葉がありますが、事実か事実でないかよりも、炎上したり拡散されて収益につながるか否かが、ニュースをジャッジする大きな基準になりつつありますよね。そうなると、フェイクニュースの方が効率的に稼げるということになりかねず、そちらにエスカレートしていく恐れがあります。
川邊 もう一つ注目すべきポイントはビジネス面です。ファクトを扱うのはすごくコストがかかるし、大事だけど面白くない話も多い。しかし、ビジネスの観点ではより多くの人の目を集める方にお金が集まってしまうので、エモいものがたくさん見られてSNS上で広告がつき、ファクトを扱っていた人たちの取り分が減るということが結構前から起き始めています。文藝春秋さんが批判することのある「こたつ記事」や、私が逆に文春さんを批判することのあるプライバシーのアウティングといった問題も、そうした変化の中で起きている事象かなと思っています。
私は、人々が新しい情報空間で安心して生きていくためにはプライバシーのアウティングのようなものはなくしていくべきだし、SNSそのものが配慮の必要な情報に対してもっと健全な空間になるべきだと思っています。文春さんのようなファクトを扱うことに重きを置く人たちが、どうしたらファクトの面白さを伝えられる存在になれるのか、重大な関心を抱いているところです。
新谷 まさにそこが核心ですね。歴代の『週刊文春』編集長が常に悩んでいるのは、社会的な意義はあるけれどあまり売れないニュースと、社会的な意義はあまりないけれどすごく売れるニュース、どちらを優先するのか。端的に言えば、政治家の疑惑追及と芸能人の不倫、どっちをやりますか、ということです。もちろん政治家の疑惑は精力的に追いたいけど、PVとして可視化されると、芸能人の不倫スキャンダルの方がびっくりするぐらい読まれるというのが現実なんです。
1964年、東京都出身。1989年に文藝春秋に入社後、Number編集部、週刊文春編集部デスクなどを経て、2012年に週刊文春編集長、2021年に月刊文藝春秋編集長に就任。2023年より同社取締役、文藝春秋総局長。
「文春は政治家の疑惑だけやってほしい」というご批判をいただくことがあります。もっともだと思うところもありますが、商業ジャーナリズムである以上は売れるニュースを無視することはできないし、現実にそれをやったら会社はすぐに潰れてしまうでしょう。特にスマホは紙面に比べてより俗情を刺激するものが反応されやすいので、BtoCで課金を増やすのが非常に難しい。新たな収益を上げる仕組みを作っていかなければいけないと考えています。
川邊 新谷さんが文春の編集長だった頃は、雑誌が売れなくなってきた中でもまだ紙を売るというパラダイムの中で、コンビニで雑誌を買ってもらうためにいわゆる「文春砲」路線を取った。では次に、デジタルの文春を売るためにどういう路線を作るのか。過度なスキャンダルやプライバシーのアウティングではない、正統派のジャーナリズムで路線を作ることがすごく大事だと思います。
一つ希望になりそうなのは、昨今はフェイクニュースの数がすごいことになっているので、まっとうな人たちは「ちゃんとした情報を見たい」と思うようになってきている。かつてはファクトを書いても当たり前すぎて価値を感じられませんでしたが、一周回って、偽の情報が増えたからこそ「本当に調べてちゃんと書いている」こと自体が価値になっています。その価値を使った新たな路線をぜひ作っていただきたいですね。

“ヤフトピ”で起きた新聞社の変化「うちの若い記者は……」
――インターネットの登場によって、メディアにとっては良いことも悪いこともあったと思います。報道の形という観点では、どこが最も変わったと思いますか。
新谷 今まではニュースを出してから、紙媒体なら読者が読み終わればそこで完結していました。しかし今はネット上でニュースが出ると、それに対する書き込みやコメントで読者側も参加してきて、それも含めてのニュース空間になります。そうなると、われわれも記事に対する反応まではコントロールのしようがなく、こちらの想定をはるかに超えたダメージを書かれた方に与えてしまうことが頻発するようになりました。これは本当に大きな違いだと思います。
――プラットフォーム側としては、媒体社との関係はどのように意識して運営されているのでしょうか。
川邊 まずYahoo!ニュース トピックスを始めた当初は、様々な新聞社の記事を同じ階層に同列で載せたことそのものが大きな価値でした。それまでは、それぞれの新聞の読者はその新聞しか読まないのが普通でしたが、いろんな価値観の記事を見比べられるようになった。このことについては、不都合な人はほとんどいませんでした。

次に、何もかも数値で見えるようにしたことには、功罪の両方があったと思います。情報提供元である新聞社の方々が「うちの若い記者は、本紙でどう載ったかより、Yahoo!ニュースで何PV読まれたかしか見ていない」と言い始めたのが2000年代の後半でした。それによって読まれる記事を目指すようになった側面もありますが、オールドメディアもアテンションエコノミーに参画してきてしまった側面もあったと思います。
――公人とプライバシーの関係性について、インターネット時代ではどういう点に気をつけて報道するべきだとお考えですか。
川邊 公人にもプライバシーはあり、それは守られるべきだという考えです。昔はプロ野球名鑑に選手の住所が載っていて、ファンが家に行くことも平気で起きていました。でも今、さすがに文春さんも政治家の住所は書きませんよね。それと同じように、プライバシーという概念は、時代や技術の進化と共に守るべき範囲が広がっていくはずです。Yahoo!ニュース トピックスでは、一昨年からプライバシーのアウティングが載っているような記事は扱わないようにしています。
さらに話が複雑なのは、SNSというプラットフォーム上では、情報の提供者の権威がフラットになったことです。新聞社も文春さんも個人も、見る側からすれば立ち位置は変わらない。だからこそいわゆるインフルエンサーのような人たちも含めて、報道のあり方のスタンダードを刷新しないと、実際の問題解決にはならないのが難しいところです。
この間、私の家の写真が文春さんの記事に出ました。おそらく、とある個人がSNSにあげていたので“公(おおやけ)”だと判断されたのでしょう。しかし、こちらからすれば個人がSNSで出すのと、文春に出されるのとではプライバシーの侵害度が全く違う。このあたりの基準の違いも揃えていかないと、危うい時代になっていくと思います。
新谷 今のお話は重く受け止めなければいけないですね。時代の変化、自分たちの見られ方の変化に、われわれが十分に対応できていない部分です。これはマニュアルで判断できる問題ではなく、一つ一つの案件に向き合い、読者に胸を張れる記事か、後ろめたさはないかと自問自答しながら報じるしかない。この姿勢を現場に徹底させなければなりません。

『週刊文春』は、かつての「たかが週刊誌」と言われていた頃と今とでは、世の中的な存在感や影響力が本当に大きく違ってしまいました。報じる中身、プライバシーにどこまで踏み込んでいいのか、取材の手法も、時代の価値観の変化に伴って変えていかなければ存続できないと感じています。
――悪いものを規制することと、表現の自由を守ることのバランスは、どのように取っていったらいいのでしょうか。
川邊 誹謗中傷や偽情報、プライバシーのアウティングは人権に関わることなので、表現の自由以前にやってはいけないことだと考えています。特に偽情報については、外国勢力も関わってひどいことになっていますよね。僕は少なくとも選挙期間中は、何らかの規制をかけた方がいいのではないかと。選挙結果は民主主義の根幹ですから、そこが偽情報によって左右されるようなことはあってはならないと思うんです。
新谷 ヤフコメに書き込んでいる方も、広い意味ではメディアであり発信者です。表現の自由を求めるのであれば、当然、表現者としての責任も伴います。従来のメディアが報じる責任を背負ってきたように、個人が発信する際にも相応の責任が伴うのだということを、理解していただく必要があるのではないでしょうか。いわゆる“便所の落書き”のような書き散らしは、今後は許されないことになっていくと思います。
AIはAIで抑止するしかない
――近年、AI技術が急速に発展してきています。今後、AIの進化がジャーナリズムに与える影響は非常に大きく、各メディアの業績にも大きな影響を及ぼすのではないかと思います。
川邊 私はよく、AIの登場を電気の登場にたとえるんです。電気は全産業に幅広い影響を与えましたが、当時、電気をいち早く導入した企業と、「電気なんて怪しい」と導入しなかった企業とでは、5年後、10年後の業績に大きな差が生まれ、最終的に導入しなかった企業は淘汰されていったはずです。同じように、AIもうまく活用した企業とそうでない企業で大きな差が生まれるでしょう。AIは文字や画像などのソフトウェアを生成できる文明の力ですから、特にメディアは最も早く影響が現れる分野だと考えています。
――実際、LINEヤフーではどのぐらい生成AIを日常の仕事で使っていますか?
川邊 先日、社内で生成AIの使用を義務化するというルールを設けました。思ったより利用が進まない現状に対し、無理やりにでも変わっていこうという意図です。進んでいる例で言うと、Yahoo!ニュースですね。例えば、ヤフコメの誹謗中傷を見つけて削除する作業はAIがやっていますし、ヤフコメの内容を数行で要約する機能も生成AIを使っていて、すごく読まれています。
新谷 文春では、たとえば新刊の読みどころを生成AIでコンパクトにまとめる、といった使い方は導入しています。しかし、ある部門ごとAI導入で効率化する、というところまではまだ行っていません。生成AIはあくまで道具ですから、使い方を間違うと本当に危険です。いわゆる「こたつ記事」やフェイクニュースを、AIならたやすく量産し拡散できてしまう。そこには非常に大きな危惧を抱いています。
川邊 実際にそうなるでしょうね。そして、その解決も生成AIに頼ることになる。核が出てきたら核で抑止するしかない、という核抑止論に似ていますね。そういう時代に突入してしまったのだと思います。
――100年後のジャーナリズムはどうあってほしいか、どうあるべきかお聞かせください。
新谷 日本のジャーナリズムは今、大きな危機に瀕しています。これを改善していけるか、それともさらに悲惨な方向へと進んでいくかは、われわれメディアやプラットフォーマーはもちろん、読者の方々を含めどれだけ多くの人に「メディアがこの国に必要だ」と理解していただけるかにかかっていると思います。
そのために私が常に現場に言っているのは「弱い側に立ちましょう」ということです。なかなか声を上げられない弱い立場の人の側に立ち、その声をしっかり届けて、少しでも世の中がいい方向に変わるように努力する。たとえばジャニーズ問題について、私たちは1999年から継続的に報じてきましたが、他社は追随しませんでした。その理由は、ジャニーズ事務所と良好な関係を保っていた方が、端的に言えば利益につながるからです。でもわれわれは経済的な損失を覚悟の上で、ジャニー喜多川氏による被害を受けた少年たちの「声なき声」をしっかりとすくい上げて伝えることが重要だと信じていました。
われわれが何を考え、何に悩みながら記事を作っているのか、なぜこのニュースを伝える必要があるのかということを言葉で伝え続ける。その結果、弱い立場の人が声を上げやすい世の中になってほしいと願っていますし、そのためにジャーナリズムは必要なんだということを理解していただければと思います。
川邊 ファクトとオピニオンは全く違うものです。これからの時代、オピニオンは無尽蔵に出てきますが、ファクトは基本的には一つしかありません。
一周回って、今はファクトの価値が高まってきていると思います。先日、猛烈な取材攻勢を受けた立場から言いますが、文春さんは「徹底的に調べている」ことがよく分かります。そのファクトをちゃんと突き詰めて、その面白さを伝えるような存在が、10年後も残っていてほしい。AIが量産する安易なオピニオンではなく、手間暇をかけたファクトの価値が輝く未来を望んでいます。
この対談は、2025年7月17日に行われました。
