AIは、もはや「使わない方が不自然」な時代に突入した。それでも、日本企業のAI活用は世界に大きく遅れている。一橋ビジネススクール特任教授の楠木建氏と、デル・テクノロジーズ株式会社 シニア・アドバイザーの若松信康氏が、AI時代の経営戦略の本質を語り合った。
司会●村井弦(「文藝春秋PLUS」編集長)
「たとえば自動車が普及しているのに、わざわざ馬車で荷物を運ぶ会社があったら効率が悪いですよね」
楠木氏は、企業にとってAI活用が不可欠であることをそうたとえた。今やインターネットを使わない会社がほとんどないように、AIも「便利である以上、使わない方が不自然なもの」になっているという。
1964年東京生まれ。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。専門は競争戦略。一橋大学商学部専任講師、同助教授、イタリア・ボッコーニ大学経営大学院客員教授、一橋ビジネススクール教授を経て2023年から現職。『「好き嫌い」と経営』(東洋経済新報社)、『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(日経BP)など著書多数。
しかし、日本企業の現実は深刻だ。デル・テクノロジーズの調査によると、日本企業のトップの55%がAIを経営戦略に位置づけていない。AIに対する期待も「生産性向上」(51%)に偏り、「競争優位の強化」と答えた経営者はわずか数%にとどまる。さらに、AIを経営戦略の中に位置づけていても「経営戦略上重要な競争優位性を左右する」ような存在だと考えている経営者はごく少なく、全体の10人に1人程度しかいない。
若松氏はこの原因を「AIを“効率化ツール”としか捉えていない」ことにあると指摘する。
「海外の先進企業は、AIを業務プロセスや意思決定のフローに統合し、顧客対応スピードの向上や新たな価値の創造につなげています。日本企業の多くは、AIはひとつひとつのタスクの効率化に使うものだという考えから抜け出せていないのです」
外資系通信機器メーカーのSEとしてキャリアをスタートさせる。その後、セキュリティベンダーのプロダクトマネージャー、日系企業の技術コンサルを経て2008年より現職。中堅企業向けマーケティングの責任者を務めつつ、生成AIのビジネス活用に関する啓蒙活動を行う。
この背景にある日本企業特有の“事情”について、楠木氏は「日本は人間に対する信頼が強く、それが仇になってAIやデジタル技術の導入が遅れる傾向がある」と分析する。人間の力と技術の力を対立関係で捉えてしまっており、「技術が進化すれば人が要らなくなる。逆に人が力を発揮すれば技術は要らない」という根本的な誤解があるという。
“何を減らすか”ではなく、“何を増やすか”の視点を
若松氏がビジネスの現場で最も多く目にするのは「ROI(投資対効果)がわからないからAIの導入が進まない」という現実だ。
「効率化のために“何を減らすか”ばかりを考えていてもリターンは生まれません。重要なのは企業が成長するために“何を増やすか”。増やすために必要な経営資源が足りなければ、それを生み出すためにAIを活用する。人が足りなければ、AIを活用して従来の仕事を効率化して、これまでできなかった新しい仕事にも取り組めるようにする。そこから生まれるのがリターン、つまり成長です」
しかし現場では、AIを活用する目的が単に生産性向上になってしまいがちだ。調査レポート作成時間が1週間から20分に短縮されるような劇的な効率化は定量的に示しやすいが、それが経営戦略の目標と直結しているかは別問題。さらに、「社員の何%が生成AIを使っているか」といった指標に終始してしまうケースも多い。
「戦略上の重要課題と現在のAI活用にズレがある。AIを業務プロセスに統合して、長期的に価値を創造していく視点がない。だから導入が停滞するのです」と若松氏は警鐘を鳴らす。
「ストーリーなき経営」がAIを殺す
楠木氏は「経営者がAIに向き合う姿勢が経営の質に直結する」と語る。
「局所的な活動にAIを使って、使わない場合と比べてそれがどう得になるのかという方向でみんな考えてしまっている。しかし企業活動というのは、ありとあらゆるものが繋がっていて、長い目で見て利益を作っていくものだということを忘れてはなりません」

楠木氏が重視するのは、経営における“ストーリー”の存在だ。それは経営者が「こうやって儲けていく」という明確な構想を持ち、「なぜ儲かるのか」がはっきりとした因果でつながることだと説明する。たとえば、競争相手と比べてモノがより高く売れている場合に「なんで高く売れるの?」と問われたとき「この業界でうちだけしかこういうことができないから」と答えられる必要があるという。これに若松氏も同調する。
「企業経営において、ストーリーと切り離したAI活用はありえません。いきなり価値創造を目指すのではなく、AIを活用することで業務データを取り込み、それを元に事業全体のプロセスを最適化した上で、競争優位を作る分野を見極めていく。つまり、AIはどうやって儲けるのかのストーリーを作る手段になるのです」
競争優位をつくるポイントは、“違い”を生むAI活用
では、AIで持続的な競争優位を築くことは可能なのか。楠木氏は「条件付きで可能」と語る。
「競争優位とは他社との“違い”を生むこと。AIが業務やサプライチェーンに統合され、蓄積的に作用すれば優位性は生まれます。ただし、経営者による意思決定を行う場面では、AIに委ねられることは限定的です」
楠木氏が指摘するのは、戦略の本質だ。
「戦略とは、ひとつの“良いこと”を達成するために、別の“良いこと”を捨てるということ。どちらの“良いこと”を選ぶかには外在的な価値判断の基準がないので、経営者の中にある基準で決めるほかありません」
現在の生成AIは大規模言語モデルによって「最も確からしく、妥当な正しい解」を出してくる。しかし経営者が生成AIに対して「何が我が社にとって一番いいアクションだと思いますか?」と聞いてしまうようなことはあってはならないのだ。
「経営者が自分の判断基準を確立している状態では、AIは戦略的意思決定に役立ちます。しかし、そういったものがまだ経営者の頭の中にない段階でいきなりAIに頼ると、企業の成長のストーリー、ひいては経営戦略を破壊することになりかねません」
「人とAIの共進化」が生む真の“差別化”
若松氏も「『AIだけ』では持続的な競争優位は築けない」と断言する。遅かれ早かれ、ほぼすべての企業が生成AIを活用することがわかっているからだ。では、どうやって他社との違いを生み出していけば良いのだろうか。
その答えを、若松氏は「AIを自社固有の経営資源と掛け合わせること」だとする。たとえば、個々の業務やノウハウのデータを蓄積している場合、それは他社には存在しない経営資源だと言える。そういったデータをAIと掛け合わせたとき、それこそが他社には真似できない利益を生む源泉になるのだ。
さらに、企業が考えるべき重要な論点は次の2つだという。
(1)既にある競争優位をAIで強化できるか
(2)AIで自社独自の新たな価値を創出できるか
この2つの論点に対して、さらに「価値」「希少性」「模倣困難性」「組織」といった指標を掛け合わせて、競争優位を設計していくことが重要だと若松氏は語る。
「たとえば製造業であれば、品質管理を熟練工に依存する企業は多いですよね。品質を追求すればコストが増加し、価格競争によって利益が圧迫される。そこにAIを活用すれば一定水準の品質を自動で達成できるので、コスト削減を実現できますが、それは他社でも同じ。利益につながるような“違い”は生まれません」
競争優位を築く上で重要なのは、AIで人を育てるという戦略的選択だと若松氏は語る。
「品質管理はAIに任せてそれ以上は追求しない。その代わりに、AIで人を育てることに時間を使うという考え方です。熟練工の“暗黙知”をAIで可視化し、それを若手が活用できるような“形式知”に育てることで、若手がすぐに独り立ちでき、それぞれの技術者が創造性を発揮することに時間を割けるようになる。つまり、製品に“個性”という価値を与えることに集中できるようになります。
その会社の固有の財産である職人の知のデータを基盤に、AIを掛け合わせて『真似のできない職人集団』を育成することで、自社製品固有のプレミアム価値を生み出すことにつながるのです」
AIの活用を通して人間も“共進化”するこのモデルは、時間とともに競争優位を拡大させるという。
「良い製品ができれば、企業のブランド価値が向上し、優秀な若手を採用できる。また、データを活用して技術力を更に高めることもできます。こういったサイクルが回り始めると、他社には真似できない強みが生まれる。これが真に競争優位を築くプロセスです」
AI導入のために取るべき“戦略的アプローチ”
では、経営戦略としてのAIの導入はどのように進めるべきか。楠木氏は「とりあえず全部AIでやってみることにしたらいい」と提言する。
「特にAI活用に及び腰な日本の会社には有効な方法です。あらゆる技術に共通するのは、人間がそれまでやってきたことの外部化という観点。AIは人間を凌駕する分野があるからこそ存在意義があります。どこまでAIができるかを試し、そのうえで人にしかできないことが何かを見極めれば良いのです」
これに対し、若松氏が勧めるのは従来の企業がとってきた導入アプローチの進化だ。企業がこれまで進めてきたように、まずはAIによる業務の効率化から導入を進めること自体は問題ではないという。重要なのは、その先だ。
「AIを使う過程で、個々の業務データ、たとえばそのプロセスで人は何をしたか、なぜそうしたかといった情報が蓄積されていきます。さらに、どのような業務にAIが多く活用されているか、どこで効果が得られたか——これらを可視化することで、人とAIの協働モデルを設計し、そのためにデータ基盤やアプリケーションなどのインフラをどのように最適化していくかまで考えることができます」

重要なのは、この過程が単なる技術導入ではなく、組織変革と一体であるということだ。最終的にはAIと協働して環境変化に対応できる組織の構造を作ることが、競争優位の源泉となるという。
経営者に求められる“損得思考”への回帰
楠木氏は、経営者の心構えをシンプルにまとめた。「利益を出すためには、売上を上げるかコストを下げるかのどちらかしかない。AIの議論も、”どう売上が上がるのか”もしくは“どうコストが下がるのか”という観点で考えるべきです。AIの効果をAIのための物差しで測るのではなく、経営の常識的な“損得”で判断する。これが最も健全なアプローチです」
最後に若松氏は、AI時代の経営者が持つべき思想についてこう語った。
「一般的にはAIは人の代替と語られることが多いが、AIは業務を置き換えることはできても、人の代替にはなりえません。価値は人が生み出すもの。人がAIを活用して思考を拡張することで、自らを成長させる。それをAIにフィードバックし、それを活用することで人がさらに進化する──この“共進化”こそが企業の競争力の源です。
一方で、AIの導入を進める企業では社員の離職率が高まるというデータもあります。これはAIが人切りの材料だと思われてしまっているからに他なりません。AIは仕事の中で何を解決して、その代わりに社員は何をするべきなのか、というメッセージを経営者が明確に発信していくことも重要です」
経営者が自らの言葉でメッセージを発信し、AIを「経営戦略の一部」として明確に位置づけること。技術に振り回されるのではなく、技術をストーリーの中で使いこなすこと。それこそが、AI時代を勝ち抜く経営者の条件となるであろう。

