完璧なバイオピック(伝記映画)など、果たして存在し得るのだろうか。そもそもひとりの人間、それもバイオピックの対象として選ばれる人物の生涯を、2時間や3時間の映画に収めきることなど不可能と言っていい。そこには必ず「何を描き、描かないのか」という制作側の意図的、あるいは不可避的な取捨選択があり、その選択にはその人物を「どう見せたいのか」という視線が滲む。一方で、その人物を知る観客一人ひとりにも「どう見たいか」という欲求があり、すべての観客の期待する像と制作側の選択の結果が完璧に重なり合うことなどあり得ないのである。
6月14日時点で『ボヘミアン・ラプソディ』を抜いて音楽バイオピック史上No.1の世界興行収入を更新し、日本でも爆発的なスタートダッシュを切った『Michael/マイケル』をめぐっても、この宿命は避けて通れない。ましてやその対象は、ポップミュージックの歴史を塗り替え、20世紀以降のエンターテインメントのあり方そのものを変えた“キング・オブ・ポップ”=マイケル・ジャクソンである。1969年に「ジャクソン5」としてメジャーデビューしてから瞬く間にスターダムへと駆け上がり、亡くなった今もトップスターであり続ける彼の人生はすべての瞬間がアイコニック。作り手の取捨選択にもかなりの苦労があったことは想像に難くない。
興行面でも記録的なヒットを収めた
『Michael/マイケル』で描かれるのは、ジャクソン5の結成当初から、マイケルがソロ・アーティストとして全盛期を迎えた1988年のBADツアーまで。当初は1993年のジョーダン・チャンドラーによる告発と、それに伴う捜査・訴訟・和解の時期まで踏み込む構成であったが、チャンドラー一家との和解条項でその部分を映画で言及できないことが判明し、撮影済みの第3幕を中心に大幅な再構成・再撮影が行われたという。さらに、マイケルにとって導き手とも言うべき存在だったダイアナ・ロスも当初は登場していたものの、法的な事情により最終版からはカットされたという証言もある。ポール・マッカートニーの不在や、1985年の「ウィ・アー・ザ・ワールド」制作という偉大な瞬間の省略についても、同様に権利や許諾など現実的な複数の事情が想像される。
これらの限られたルートの上で制作側が選んだのは、マイケルのアーティスト/パフォーマー/演出家としての神話性をスクリーン上に再構築すると共に、父・ジョセフとの支配的な関係を通して、神話の影にある人間的な一面をも照射しようとすることだった。この選択は公開前の批評家評では厳しく受け止められたが、観客からは熱狂的に迎えられ、興行面でも記録的なヒットを収めている。つまり本作は明確に賛否がありながらも、結果的に多くの人々がスクリーンで見たかった「マイケル像」の最大公約数を捉えることに成功したと言えるだろう。
当時の熱狂を追体験させるような映像
実際、本作のエンターテイメント面での強度は疑いようがない。その支柱となっているのは言わずもがな、マイケルの身体性、精神性を驚異的なレベルで体現したジャファー・ジャクソンと、少年期のマイケルを演じたジュリアーノ・ヴァルディの存在だ。佇まいや表情、その身体表現により、物語の展開と共に「観客の記憶の中にあるマイケル」へと肉薄していく2人の姿を、アントワーン・フークワ監督は単なる再現を超えて、本物のマイケルがそこに立ち現れたかのようにスクリーンへ刻みつけた。そうして生み出されたライブやパフォーマンスの映像には、当時の熱狂を追体験するような確かな高揚が宿っている。
だが「神話マイケル」の再構築が多方から評価される一方で、父との確執を軸とした「人間マイケル」のドラマには、なお物足りなさを覚えたという声も少なくない。確かに本作のマイケルは寡黙である。父に植え付けられた自信のなさやコンプレックス、子ども時代の喪失、その孤独や重圧も随所で示されてはいるが、中核となるのは彼の楽曲やパフォーマンスであり、彼自身が世界とどう相対していたのかが台詞として多く語られるわけではない。しかし、その沈黙は本当に内省的なドラマの不足を意味するのだろうか。むしろ本作は、ともすれば“ヒットソング”としてだけ記憶に刻まれていた楽曲の数々を、マイケルの内面を照らし出す言葉として捉え直そうとしているように見える。権利上の事情もあってか劇中で歌詞の日本語訳は付されていないが、楽曲の多くは映画のストーリーと密接に連動しており、彼が口にしない感情、あるいは言葉にできなかった孤独や苦悩を代弁するかのように、ドラマを内側から駆動しているのである。
注目すべきヒットソングの歌詞
たとえば映画では、1968年にジャクソン5がモータウンに見出されるきっかけとなったステージで、「ネヴァー・キャン・セイ・グッバイ(邦題:さよならは言わないで)」が披露される。同曲は、別れを受け入れられない未練と葛藤の歌であるが、史実上、この曲が生まれるのは彼らがモータウン入りしてからのこと(リリースは1971年)。つまり映画は年表上の正確さからは逸脱しながらも、この“別れに苦悩する”歌が持つ響きを、マイケルが巨大なショービジネスへと見出されていく序章に重ねているのだ。そこに見て取れるのは、華々しい成功の予兆であると同時に、少年時代、あるいは普通の人生から遠ざかっていくことの悲しい予感でもある。また彼らがモータウン入りした後、遊園地のステージで披露する「アイル・ビー・ゼア」は、愛する者に“いつもそばにいる”と誓う献身の歌である。マイケルはそれを車椅子の少女に捧げるが、その瞬間、彼はもはや守られるべき子どもではなく、誰かを慰め、支え、救う存在として観客の前に差し出されている。大人顔負けのラブソングはここで、スターとしての彼が背負わされていく“献身”の役割を告げる歌へと変わるのだ。
やがて大人へと成長したマイケルの、ソロ・アーティストとしての解放を告げるのが彼自身で作詞・作曲した「ドント・ストップ・ティル・ユー・ゲット・イナフ(邦題:今夜はドント・ストップ)」である。身体の奥から湧き上がる高揚に身を委ねるその歌は、映画の中で父の支配やモータウンの枠組みから離れ、マイケルが自らの身体と言葉を取り戻していく瞬間と重なっていく。だが、その解放はすぐに中断。ソロ・ツアーを望むマイケルは、なおも父の呪縛に引き戻され、モータウン脱退とともに改名したジャクソンズのツアーのステージに立つことになる。そこで歌われるのが、孤独な少年とネズミの友をめぐる楽曲「ベン(邦題:ベンのテーマ)」であることは、きわめて示唆的だ。その歌詞は誰にも理解されず、孤独を動物たちとの絆で埋めようとするマイケルの心情と符合する。
その後、マイケルは音楽史上最も売れたアルバム『スリラー』によって、その人気を決定的なものにする。なかでも「ビリー・ジーン」で披露したムーンウォークは、ダンスの歴史を塗り替える瞬間となった。だが、その華やかな功績とは裏腹に、そこで歌われているのは「ビリー・ジーンという女性に、“子どもの父親だ”と名指しされる男」の物語である。兄弟たちの周囲にいたグルーピーたちに着想を得た架空の内容でありながら、根拠のない言葉がいつしか真実のようにひとり歩きしていくその歌詞は、スターになった代償として他者に利用され、噂によって自らの物語を奪われていくことへのマイケルの恐怖や疑念を映しているようにも聞こえる。
そして終盤、ついに父の支配から脱却することを決意したマイケルが、兄弟たちとのツアー活動に終止符を打つ直前に披露したのが「ワーキン・デイ・アンド・ナイト」であった。恋人のために身を削るほど尽くして疲弊する男の歌であるが、ここでマイケルが歌うことで、父に言われるがまま働き続けた彼の足跡を映し出すものへと変わる。家族のため、父の期待のために昼も夜も働き続けてきた彼が、もう十分に役目を果たしたのだと告げる別れの意思表示となるのだ。そうして父のための”良い子”でい続けたマイケルが、ラストに披露する「バッド」。それは誰かに定義され続けてきた自分の価値と物語を、自らの手に取り戻すための彼の咆哮。そうして音楽を通じて語られてきたマイケルの内なるドラマは、ここでついにクライマックスを迎えるのである。
このように『Michael/マイケル』の人間ドラマは、台詞や表情、行動のみならず、楽曲がどう使われるかによっても描かれている。たしかに本作が描かなかった、あるいは描けなかったものは多い。完璧なバイオピックなど存在し得ない以上、そこに求めているものが欠けていると感じることもあるだろう。だが、映画を彩るヒットソングのように聞いていた楽曲の言葉に耳を傾けてみれば、意外にもそこにこそ、求めていた「人間マイケル」の姿があるのかもしれない。
『Michael/マイケル』
〈あらすじ〉
圧倒的な歌唱力と革新的なダンスパフォーマンスで、アーティストの枠を超え、全世界的なアイコンとなった“キング・オブ・ポップ”=マイケル・ジャクソン。野心家の父のもと厳しいレッスンを経て、兄弟グループ、ジャクソン5で幼少の頃から大成功を収めた彼は、やがて青年となり、ソロアーティストとして歴史的名曲の数々を生み出し、全世界の寵児となっていく。しかし、その栄光の裏には、早熟の天才ゆえの孤独感、強権的な父親の呪縛、家族への愛と自分の中に溢れるビジョンとの間で葛藤する一人の人間の姿があった――。
監督:アントワーン・フークア(『イコライザー』シリーズ、『トレーニング デイ』)
脚本:ジョン・ローガン(『アビエイター』『グラディエーター』)
製作:グレアム・キング(『ボヘミアン・ラプソディ』)、ジョン・ブランカ、ジョン・マクレイン
出演:ジャファー・ジャクソン、ジュリアーノ・ヴァルディ、コールマン・ドミンゴ、ニア・ロング、ケンドリック・サンプソン、マイルズ・テラー、ローラ・ハリアー、ケイリン・ダレル・ジョーンズ他
配給:キノフィルムズ 提供:木下グループ 映倫:G
公式HP:https://www.michael-movie.jp
公式X:https://x.com/michaelmoviejp
公式Instagram:https://www.instagram.com/michaelmovie.jp/
提供/(株)キノフィルムズ
