戦後まもなく松竹歌劇団に入団して以降、七十余年女優として活躍してきた草笛光子さん。幼き日に直面した空襲、疎開、そして戦争への思いを語る。
「疎開」を経験した人は、もう少なくなったでしょうね。
昭和19年8月、私が住んでいた横浜でも空襲がひどくなって、国民学校5年生だった私は学童疎開に行きました。と言っても行き先は、同じ横浜市内の小机にあるお寺です。

祖母が何度か、会長をしていた婦人会の用事があるような顔をして、会いに来てくれました。「光子ちゃん」とこっそり呼ばれてお堂の裏にある墓地へ行くと、「早く食べなさい」と言っておむすびをくれます。
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source : 週刊文春 2025年8月14日・21日号
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