容姿をめぐる言葉ほど、時代を反映するものもない。ハンサム、二枚目、貴公子、イケメン。美人、マドンナ、小悪魔、美少女。時代によって美しい姿は少しずつ変わる。キャラクター性を含めた、さまざまな美しい容姿を評する名詞や形容詞が、生まれては微妙に古くなっていった。しかし、だ。今挙げた言葉にはひとつの共通点がある。それは「他人から評される言葉」であることだ。

 いやもちろんイケメンを自称してもいいのだが、まあ基本は他人から言われる言葉だろう。試着室で「おっ、この服着たらイケメンじゃん」とはあまり言わない。国語辞典のイケメンの項の例文にはなるまい。同様に「わあ、このリップ、美人になる」ともやっぱり言わない。わざとらしいCMか?

 しかし昨今流行っている「盛れる」「盛れてる」という言葉。これは主に、自分で自分を評する時に使うんですねえ! 容姿評価日本語界の革命児!

「盛れる」とは、「いつもより容姿が良く見える」という意味。たとえば「このカメラアプリは性能いいから、これで撮ると盛れるんだよ」と。通常のカメラよりもこのアプリで撮ったほうが、良い容姿で撮れるんだよ、ということだ。

 あるいは変化系で「盛れてる」も使う。「今日なんか盛れてるわ。このリップやっぱり良いな」というふうに。今日の自分の容姿はいつもより調子がいい、新しく使ったリップが似合う色だからだ、と。

 盛れる、の新しさは、自分の容姿を自分で把握している時代の語彙だということ。もちろん他人に対して「今日盛れてるね(いつもより可愛いね)」と言ったりもするが、それもまた前提として「いつもの容姿をあなたは自分で把握してるよね?」を含意する。自分でいつもの容姿を把握しているからこそ、いつもより「盛れてる」つまりプラスアルファの良さが存在するタイミングが理解できる。ハンサムや美少女は自分で自分の容姿の美しさを把握してなさそうだ。むしろ把握しないでいてくれ、という無言の理想まで詰まっている。しかし「盛れてる」人は、自分の容姿を理解しさらにもっと盛りたい(良くしたい)という願望すら持っていそうだ。だから自分の容姿が調子良いとき「今日盛れてる!」と誇ることができる。

 だが日本人らしいなあと感じるのは、盛った主体は自分ではなく道具にあること。つまり盛れるとは「自分の容姿がいいのは自分が元々持っているものではない。カメラアプリやコスメのような道具のおかげだ」という謙虚な意図も含むのである。私はもともと美少女なわけじゃありません。でもカメラのおかげで盛れてるんです! これはカメラのおかげです! ……そこまで含む言葉ができてはじめて、日本人は自分の容姿を褒められる時代に来たのかもしれない。

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source : 週刊文春 2025年9月25日号