皇室典範改正を強行し、終戦の日の式典では「反省」を封印した高市首相。天皇は1対1の内奏で…
6月29日夕刻、黒塗りの車列が皇居に押し寄せた。厳重な警護に囲まれ、トヨタの最高級車「センチュリー」から姿を現したのは高市早苗首相だ。
傍らにいる秘書官やSPと共に颯爽と闊歩していく中、宮殿内のとある一室を前に周囲の随行者は首相の元から一切捌けた。
「鳳凰の間」。高い格式を誇る部屋で高市首相をお出迎えになったのは、天皇ただお1人のみ。侍従長ら側近の立ち会いもない。首相は、直立される天皇とテーブル越しに向き合うと、着席するよう促されて腰を下ろした。
2人だけしかいない凜とした空間。高市首相が手元に持参した内奏書を読み上げると、天皇は静かに耳を傾けられるのだった。
◇
戦後81年を迎える8月15日の終戦の日に執り行われた「全国戦没者追悼式」。天皇はお言葉の中で、上皇が2015年から使われ続けた「深い反省」という表現を今年も踏襲し、再び戦争の惨禍が繰り返されないことを願われた。

他方、高市首相はどうだったか。式辞では石破茂前首相が昨夏、13年ぶりに盛り込んだ「反省」や「不戦の誓い」に触れることはなかった。それだけではない。敬愛する安倍晋三元首相が使った「歴史の教訓を胸に刻む」という表現にさえ言及しなかったのだ。
「高市首相の式辞の特徴として挙げられるのが、歴代首相が用いてきた『戦争の惨禍を二度と繰り返さない』という表現を、『二度と繰り返させない』へと、使役形に変更したことです。主体的に行った戦争の当事者意識や、自省を薄める表現と受け止められても仕方ないものだった。アジア諸国への加害責任にも触れず、『インド太平洋の輝く灯台として、頼りにされる国になれます』という独自のフレーズを繰り出しました」(政治部デスク)

そもそも、高市首相の戦争観は衆院議員一回生の頃から「反省」とは無縁なものだった。1995年の衆院外務委員会では、新進党(当時)議員として次のように明言している。
「少なくとも私自身は当事者とは言えない世代ですから反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っている」
国会の場で「反省なんかしない」とまで口にしていた高市首相。それは象徴天皇制のもと、先の大戦を顧みて平和を希求し、国内外での慰霊の旅を続けてこられた天皇の姿勢とは対照的なものだ。
「そうした天皇と高市首相の戦争観の差異が露呈したのが、4月29日の昭和の日に挙行された『昭和100年記念式典』です。政府主催で天皇皇后両陛下が招かれ、各国の大使をはじめ5600人が参列しました」(前出・デスク)
同様の式典は、1968年に時の佐藤栄作政権によって開かれていた。昭和天皇皇后がご臨席した「明治百年記念式典」。だが、両者には明確な格差がある。「明治百年」では天皇皇后の先導役を佐藤首相(当時)が務め、天皇のお言葉も披露された。ところが、「昭和100年」の先導役は木原稔官房長官で、天皇のお言葉もなかったのだ。
「海上自衛隊東京音楽隊が生演奏するTMNETWORKの『Get Wild』に合わせ、高市首相は、天皇皇后両陛下の目の前でノリノリの笑顔で手拍子やガッツポーズをしていた。その様子は参列者からも冷淡な目で見られていました」(同前)

皇室に造詣が深い閣僚経験者がこう慨嘆する。
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source : 週刊文春 2026年9月3日号






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