「安倍さんは、選挙だけは本当に鬼だった。最後が街頭演説の現場だったというのも宿命を感じます……」
そう振り返るのは、世耕弘成参院幹事長(59)だ。
世耕氏は第一次安倍政権で首相補佐官、第二次政権で経産相などを歴任。安倍氏を支えた最側近の一人だ。
「『総理の時、何で一番悩みましたか?』と尋ねたことがありました。安倍さんの答えは『一番は解散。解散だけは誰にも相談できないから。やろうと思った時にやらないといけない』。14年11月の解散などは『まさか今……』と驚きましたね。直前まで誰も知らなかったと思います。でも、自公で大勝。結果的にベストのタイミングでした」
各選挙区の情勢は常に頭に入っていたという。
「選挙が近づくと、総理執務室で、党がまとめた分厚い調査ファイルを見ながら『ここが良くないね』と議論したり。今回の参院選でも安倍さんのご自宅で一度、二人きりで情勢分析をしましたが、『清和会の〇〇が数ポイント負けているぞ』という感じで、すぐに数字がパッと出てきました」
強い拘りを持っていたのが、街頭での演説だった。
「安倍さんを“箱物”に呼ぶと怒られました。『俺は街頭がいい。通りすがりの人がどれほど足を止めてくれるか。それで票を増やす』と。自分が訴えることで必ず2000票、3000票をひっくり返すという気合でした。しかも単に自ら聴衆の反応を見るだけではなく、必ず秘書官たちに後ろはどこまで入っているか、モニタリングさせていたほどです」
“選挙の鬼”は、総裁選でも発揮された。
「12年の総裁選ではギリギリまで出馬を悩んでいました。ただ、出ると決めてからは『絶対に勝つ』という意気込みが凄かったです。僕は1回目の投票で石原伸晃さんを支援した派閥を安倍さんに振り向ける流れを作ったんですが、総裁選後の打ち上げで『全部来たね。とても良かったよ』と声をかけてもらった。細かな動きも全部見ているんです」
昨年の総裁選では、高市早苗氏を強く推したが、
「自分が推す以上は恥ずかしい数字は出せないと、どんどん本気モードになっていった。そしたら実際に予想以上の票数を叩き出しました。いかなる選挙も死に物狂いでやる。それが安倍さんのスタイルでした」
なぜ、それほど選挙に力を注いだのか。
「お父さん(晋太郎氏)の影響も大きい。亡くなる直前までヘリコプターで全国を飛び回り、今の清和会の基盤になる世代を国政に大勢送り出しました。その遊説中に倒れ、帰らぬ人になった。そんなお父さんの姿が、安倍さんの原点になっていたと思います」
その晋太郎氏と同じ67歳で、街頭演説中に斃れた安倍氏。世耕氏は7月10日に弔問に行ったという。
「安倍さんは、今にも『世耕ちゃん』と喋り出しそうな感じで……ご遺体の前で号泣しました。仕事をしていると耐えられるけど、一人きりになると涙が止まらない。本当に色々なことを思い出してしまいます」
source : 週刊文春 2022年7月21日号