還暦を迎え、80曲をフルで歌いきった瞬間、沢田研二ルネッサンスは始まった。自分の身体に刻まれる時間を喜んで受け止めながら、スターは歌い続ける――。最終章、最終回。
団塊世代が定年を迎えはじめるのは、2007年である。その翌年、リーマンショックを引き金に世界恐慌の足音が聴こえ、バラク・オバマが大統領選を制した08年が、ジュリー復活の年となった。
1948年生まれの沢田研二は6月25日に還暦を迎えて、恒例の全国ツアーに続き、11月29日京セラドーム大阪、12月3日東京ドームで「人間60年 ジュリー祭り」を決行する。自身が2年かけて構想し、作戦を練ったコンサートだった。
その時を前に、NHK-FMは、沢田が1日かけて来し方を振り返る「今日は1日ジュリー三昧」を放送。一般紙もニュースとして取り上げて、二つのドームには当日券を求める人で長蛇の列ができた。彼は「僕はもうドームなんかいっぱいにできないかもしれない。いや、できるんだと自信もあって」とギリギリまで集客に気持ちを揺らしたが、2日で5万4000人がスターの記念碑的瞬間を祝おうと集まったのである。
この日のために「赤」を封印してきたジュリーは、前半は白、後半は赤の早川タケジ製作の衣裳を身につけて、どちらも大きなインディアンの羽根を頭に飾って現れた。ギター柴山和彦、下山淳、キーボード泰輝、ドラムスGRACEの「鉄人バンド」を引き連れ、20分の休憩をはさんだだけで6時間半、80曲を全曲フルバージョンで歌う圧巻のパフォーマンスを見せた。ザ・タイガース、PYGの曲から現在まで。特設ステージを所狭しと駆け回るスターの声は1曲ごとに艶を増し、1曲ごとにオーラを増幅させていく姿を大きなスクリーンが映し出した。
アンコールのために赤いスーツに着替えたジュリーは昂揚を隠さず、幾度も「ありがとう」を繰り返しながら観客に感謝を伝える。
「また今日、夢の中に連れて行ってもらいました。みなさんのおかげで夢をみることができました。60歳にもなって、3万人もの前で歌えることは嬉しさの極みです。また明日から、しっかりと日常を暮らして生きていこうと思います。1日も長く歌っていたいと思います」
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source : 週刊文春 2023年1月26日号