「さよなら」「愛を止めないで」「言葉にできない」などの数々の名曲を世に送り出したオフコース。最初は小田和正が同級生らと始めたグループだった。最大の転機となる出来事は、デビュー7年目の1978年にあった。
グループやバンドの成り立ちは、実に様々である。中学・高校の同級生がそのままプロになることもあれば、赤の他人がオーディションで出会うこともある。
オフコースの場合はどうだったのか。はなからバンドをやるのが目的だったのではなく、時代に即して音楽を続けるうち、気づけば「バンドになる」必要があったのだ。
小田和正と鈴木康博は、神奈川の名門・聖光学院の同級生として共に音楽を始め、大学は別々だったが練習を続けて、大学卒業の年にアマチュア・コンテストで入賞し、レコード・デビューの話が舞い込み、気分は学生のまま、プロとしての活動を始めた。
70年代の前半は、赤い鳥、かぐや姫、チューリップなど、同世代の仲間が脚光を浴びる中、実力はあるものの、地道な活動を続けることとなる。要するに、オフコースはすぐには売れなかったのだ。
とはいえ2人は、この状況に落胆したわけではない。学生時代からの崇高なるアマチュア精神を持ち続け、意に反することはせず、自分達が愛する音楽を、ひたすら追求したのだ。
小田の経歴をみると、音楽アーティストには珍しく、大学院を修了している。これには理由がある。学生のまま音楽を続けるために、敢えて早稲田の建築学科の大学院に進んだのだ。
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source : 週刊文春 2023年5月4日・11日号