第18富士山丸事件――。1983年11月から1990年10月まで7年間にわたり、2人の日本人が不当なスパイ容疑で北朝鮮に抑留された事件だ。今年2月3日、当事者の1人、紅粉勇船長が腎不全で他界していた。享年92。

紅粉勇「第十八富士山丸」船長 ©️時事通信社

 1930年に函館市で生まれた紅粉氏。17歳で船乗りになり、43歳の時にキリスト教の洗礼を受けた。
事件に巻き込まれたのは53歳の時だ。紅粉氏は当時、日本近海で交易する冷凍運搬船「第18富士山丸」の船長だった。北朝鮮から日本に向けて航海中の船内で密航者が見つかったのが悪夢の始まりだった。「農夫の李英男」と名乗った密航者の正体は、後に「閔洪九」という名の軍人だったと判明するが、紅粉氏がそれを知るのはだいぶ後のこととなる。

 生前、紅粉氏は記者にこう語っていた。

「六連島(山口)の検疫錨地で入国管理局から、『この密航者を北朝鮮に連れて帰ってくれ』と言われたんです。我々は密航者を一旦門司港(福岡)で下ろして、四日市(三重)で積み荷の蛤を下ろした。そして言われた通り、再び四日市から北朝鮮に向けて出航し、門司に寄った。すると入管から『密航者は取り調べ中で、引き渡せない』と言われた」

 富士山丸は密航者を乗せずとも、漁船としての本来の業務で北朝鮮に向かう段取りを組んでしまっていた。現地に到着すると、「富士山丸が密航させた」と主張する当局から苛烈な取り調べを受けた。

「白状したら日本に帰してやる」

「何を言っても『違う』と言われ、何度も同じことを書かされた。長時間に及ぶ取り調べが何日も続いて嫌になった」(同前)

 紅粉氏は機関長の栗浦好雄氏と共に密航幇助やスパイ容疑で逮捕された。やがて「栗浦機関長が自殺を図った」と知らされる。後に命は無事だったと分かったが、動揺する中で取り調べは続き、1983年12月、「『白状したら日本に帰してやる』と詰め寄られた。最後は言われるがまま『自分たちが密航者を日本に連れていった』という始末書を書かされた」(紅粉氏)

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source : 週刊文春 電子版オリジナル