11月24日、作家の伊集院静さんが亡くなられました。享年73。
11月30日発売の「週刊文春」および29日に配信した「週刊文春電子版」では、阿川佐和子さんや西原理恵子さんら生前親しくお付き合いのあった方への取材をもとに、〈追悼・伊集院静「愚か者」の流儀〉と題した伊集院さんの追悼記事を掲載しています。
親交のあった松任谷由実さんにも取材をお願いしたところ、コメントを編集部にお寄せくださいました。紙幅の都合で誌面では一部のみ掲載しておりますが、ここに全文を公開します。
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伊集院 静 様
心よりご冥福をお祈りいたします。
訃報を知り、やはり伊集院さんはTVニュースになるほどのスター作家なのだものねと思ったら、いっしょに仕事をした遠い昔が、ひたむき過ぎて懐かしく、誇らしく、どうしようもなく悲しくなりました。
出会いは、私の初リゾートコンサートの打ち上げ。知り合いのGデザイナーたちと葉山に来てくれたときだと思います。それからしばらくして我家に遊びに来て、演出にダメ出しするものだから、松任谷正隆が「だったら、伊集院さんやってくださいよ!」と頼んだのが、“伊集院演出”の始まりでした。
有名な本物の象も、クレーン式の龍も、伊集院さんのアイディアです。
CFディレクターとしての発想だったのでしょう。それをステージで実際にやってしまうから、舞台演出家としても相当面白かったと思いますよ。
でも何より衝撃だったのは、これは今まで明かして来なかった事ですが、《年に2枚アルバムを作って、同名のツアーを2回演る》という提案です。
死にものぐるいで続けました。おかげで私はセカンドブレイクを果たすことが出来たと思っています。
一方私も、作詞家ペンネーム伊達歩にダメ出ししたこともあります。「ここは漱石の〇〇の〇〇な気持ちなんだ。」と言うので、「歌に説明は出来ませんよ。」って。
「あんたの才能が羨ましいよ。」それから、「オレは必ず直木賞を獲る!」と、ときどき宣言してましたっけ。
ちがう頂を目指す者たちは、袂を分かつことになります。
最後に会ったのはバブルの頃、共通の知人の結婚式でした。
10年近くご無沙汰してたけど、伊集院さんは相変わらず、男の色気とカリスマ性の塊みたいでしたね。
その頃私は、日本人初のCDミリオンセールスを達成した直後で、伊集院さんが凄い事だ凄い事だと、仕切りに褒めてくれたのが嬉しかったです。
なんとそのちょうど1週間後、直木賞の受賞と結婚が発表されるとは、あのとき私が伊集院さんに、ビブーティーをかけてあげたからよ!
なんてもうその時点では、大体わかっていたのかも知れませんけれどね。
目下、デビュー50周年をしめくくる“The Journey ツアー”で、私は再び龍に乗っています。
昔のままの自分が、あの豪放なアイディアの上で歌っています。でも、今の龍の驚くべき精度の高さと、複雑に洗練されたライティングに、長い長い時の道のりを感じずにはいられません。
夢をくれしきみの、まなざしが肩を抱く
出来るだけ長く輝けますように。
どうぞ空から見ていてください。
2023.11.28
松任谷由実
source : 週刊文春 電子版オリジナル