近・現代篇の最後は、日本が太平洋戦争にどんなビジョンを持っていたのかをお話ししていきます。
開戦直前の1941年11月15日、大本営政府連絡会議は (1)南方作戦で米英蘭を破って戦略的要衝と主要交通線を確保し長期不敗態勢をつくり (2)中国の蒋介石政権を屈服させ (3)ドイツ、イタリアの協力を得て連合王国(イギリス)を屈服させ (4)アメリカの継戦意志を喪失させる、という決定を下しました。
第一段階は順調に進んだと言っていいでしょう。12月8日にマレー半島に上陸した日本陸軍は、42年2月に英国領のシンガポール、3月には英領ビルマの首都ラングーンと蘭領東インド(現インドネシア)のバンドンを占領し、5月にはフィリピンの米軍が日本軍に降伏しました。太平洋でもラバウルなどを攻略し南方作戦を終了します。この作戦で、ニッケル、錫、ボーキサイト、生ゴム、そして最も重要な資源の石油の供給地を確保しました。
ところが次の段階で陸軍と海軍の戦略が一致しなかったのです。陸軍は占領地域の戦略資源の開発と日本への輸送に注力して持久戦態勢を取ろうとします。一方、海軍はアメリカとの長期戦では成算が立たないので、米軍主力艦隊を撃滅する短期決戦を求め42年6月のミッドウェー海戦を主導しました。しかしこの戦いで日本海軍は空母4隻と約300機の航空機を失う大敗北を喫します。
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source : 週刊文春 2024年1月4日・11日号