タイソンが敗れた世紀の一戦を仕掛けたのは、電通の部長だった治之だ。大イベントを実現させるには、時に弟の資金力も頼りにした。そんな兄に、弟との関係を尋ねると……。

 

 それはまさに歴史的一戦だった。

 1990年2月11日、東京ドームで行なわれたプロボクシングの統一世界ヘビー級タイトルマッチ。試合は不敗神話を誇った王者、マイク・タイソンに対し、序盤からリーチ差を生かした挑戦者のジェームス・ダグラスのペースで進んだ。8ラウンド、タイソンは右アッパーでKO寸前まで持ち込んだものの、10ラウンドには連打を浴びた末、最後は左フックでマットに沈んだ。プロとして初めて喫したダウン。しかも、屈辱のKO負けは、世紀の大番狂わせとして大きな話題を呼んだ。

 タイソンが東京ドームで試合を行なうのは、これが2度目だった。その約2年前、東京ドームのオープニングイベントとしてサントリーをスポンサーにタイソン戦をコーディネートしたのが、電通のスポーツ文化事業局で文化事業部長だった高橋治之である。当時を知る電通ОBが語る。

「その後、トヨタ自動車が発売した『ダイナ』という小型トラックのCMにタイソンを起用する話があった。少年院でボクシングを覚え、10代でプロデビューを果たしたタイソンは、破壊力あるパンチで快進撃を続け、“ダイナマイト少年”の異名を取っていたことから、当時のトヨタの広告部長が、タイソンの起用を提案。関連会社の広告代理店を通じてオファーを出したものの、けんもほろろの対応だった。そこで、タイソンにルートを持つ高橋に白羽の矢が立った」

取材で繰り返した言葉

 治之に、その交渉の経緯を尋ねると、懐かしそうにこう振り返った。

「僕は高校時代にボクシングをやっていたから、最初にタイソンと会った時に少し打ち合ったりして、とても仲良くなった。1回目の試合の時には、まだ悪名高いドン・キングがプロモーターではなかった。彼はタイソンに食い込もうと誕生日にロールスロイスをプレゼントするなど必死でしたが、周りは警戒していました。その後、ドン・キングがプロモーターとなり、試合の話とCMの話をセットで交渉した。ロサンゼルスから少し離れた砂漠でのCM撮影にも立ち合い、スポンサーにトヨタを迎える形で試合の契約も纏めたのです」

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source : 週刊文春 2024年4月11日号