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私たちは「有益じゃないと意味がない」という思い込みから逃れられるのか

私たちは「有益じゃないと意味がない」という思い込みから逃れられるのか

臨床心理学者・東畑開人×歴史学者・與那覇潤対談 #2

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キャラゲーでもいいのかなぁという境地

東畑 大河ドラマで、繰り返し織田信長が登場するというのは、円環的な時間であると(笑)。

與那覇 歴史上の人物と、疑似的にであれ一緒に暮らしてみたいという欲求って、「バーチャルな居場所型デイケア」なんですね。いまはデジタルの歴史ゲームもそうなっているようで、萌え絵の女の子との同居生活を楽しむみたいに、キャラ化された(時系列がバラバラな)偉人たちとチームを組んで遊ぶものらしい。

 しかし僕自身もデイケアで円環的な時間の意義を体験して、まぁそれでもいいのかなぁという境地に達しました(苦笑)。人類学者が描いてきた、諸民族の神話の世界ってそういうものじゃないですか。「発展段階」的な直線型の歴史意識を持つ社会って、もともとすごい少数派だったわけで。

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東畑 今、つらい話をしているなと思っています。僕は、カウンセラーとして、直線的な時間を大事にする立場がある一方で、「麦茶を作ることに意味がある」という話をしているわけです。

 もちろん「両方大事」と言っちゃえばいいのでしょうが、ちゃんと考えようと思うと、混乱してきて、どうしようもないどん詰まりがあるように感じる。

©山元茂樹/文藝春秋

「在野の心理学、精神医学」と「野の歴史学」をどう扱うのか

與那覇 東畑さんの前作『野の医者は笑う』は、医療人類学の視点から沖縄のスピリチュアルな世界、もはや新興宗教と紙一重な「在野の心理学、精神医学」の内実を探ったものですね。その過程で「近代科学的な心理療法でないと『ダメ』だと言える根拠は、どこにあるのか?」を問いかけておられます。

 実はこれ、歴史学も同じなんですよ。アカデミックな郷土史学とは別の、相当スピリチュアルな「野の歴史学」の本が大量にあって、「国民の気概」なるものが原因で経済が発展したり戦争に勝ったりする世界を描いてるんだけど(笑)、そっちのほうが学者の書く歴史よりずっと影響力がある。

 こうなると、まさに同じ問題が出てくるわけです。「私はオーラの力でうつが治った!」と主張する患者さんがいたとき、他の人に否定する権利があるのか。同様に「ニッポンを元気にする歴史のなにが悪い。俺はこの本でめっちゃ熱い志が湧いたんだ!」という人に、どう接したらよいのかと。