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連載『めちゃイケ』、その青春の光と影

「『めちゃイケ』はヤラセでしょ」という批判 フジ片岡飛鳥はどう考えてきたか

フジテレビ・片岡飛鳥 独占ロングインタビュー#7

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「『めちゃモテ』はユーチューバーの走りだったのかも」

 その頃はダウンタウンの斜に構えたようなカッコよさに後輩芸人はみな憧れていた時代でしたけど、オープニングから強風のノイズに負けたくなかったのか、岡村が「ワァァァ!」と大声で叫び始めて「何を騒いでいるんですか、岡村さん」「いや自分でも何だかわからないんですけど、騒いでみた」って2人がゲラゲラ笑ってた。良いか悪いかは別として、とりあえず古今東西のどの番組にも似てない空気が生まれました。

強風の中でやや本能的に「ワァァァ!」と大声で叫んだ岡村が新しい時代を切り拓くアイコンとなった ©フジテレビ

 ダウンタウンから見たら今のユーチューバーみたいなノリだったと思います。お客さんはどうか分からないけど、まずは自分たちが笑ってたという……同時代に『水曜どうでしょう』がありますけど、あれも『めちゃモテ』とノリが近い。うん、今考えたらどっちもユーチューバーの走りだったのかも……話が逸れましたけど結局第1回目から「コントじゃなくても楽しいじゃん!」と思い始めた。それにコント番組じゃないからこそ武田、雛形、紗理奈とも出会えてますし、その後もロケを中心とした『めちゃイケ』に繋がっていったんです。

当時18歳だった鈴木紗理奈、22歳の武田真治、雛形あきこにいたってはまだ17歳。『ひょうきん族』や『ごっつええ感じ』などのプロ集団に比べると、あまりにも若く素人ノリの強い座組みだった ©フジテレビ

 決定的だったのはやっぱり「ヨモギダ少年愚連隊」(第1弾は96年3月16日)。『めちゃモテ』を応援しているという茨城県の中学生から手紙が来るんですけど、読んでみると「岡村、ぶっ殺す」と書いてある(笑)。まだ15歳のヨモギダ君が当時トップアイドルだった雛形あきこにセクハラボケをする岡村に激怒しているわけです。やや危険だとは思ったんですけど、岡村に会いに行って「こんな手紙が来てる、『岡村、ぶっ殺すから茨城に来い』ってさ」「えーっ、マジですか?」「だから明日すぐ行こう」と言った瞬間に岡村が笑ったんですね。なんていうか……お互い見えた(笑)。で、勢いづいてロケに行ってみたらすごく面白かった。なので……めっちゃすっ飛ばして言えば、そのノリが以後20年以上続いたんだと思います。コントを封じられて生まれたノリというか、『めちゃイケ』ってよくドキュメントバラエティだとか言われてましたけど「面白いからやっちゃおう」って楽屋や会議のノリがそのままテレビになっていったからじゃないでしょうか。

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今の時代では考えられないが、アポなしで茨城県のヨモギダ宅を訪れたナイナイと雛形。この時中学3年生だったヨモギダ君は現在すでに38歳で自身の鍼灸院を開業中。岡村はその最初の客となった ©フジテレビ

 ただ若い頃からの“コント精神”みたいなものは常に根底にあるというか、みんなコントで育っているから、この場面ではこういうやり取りをすべきだというのが、染み付いているんです。わかりやすく言うなら、「やるなよ」って言われたのに「やっちゃう」のは、コントの基本ですよね? ドキュメントでありながらも、そういうコントの基礎体力を持った人たちが演じながら対応するから、やや不思議なバランスのドキュメントバラエティに見えたんじゃないですかね。