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連載『めちゃイケ』、その青春の光と影

「『めちゃイケ』はヤラセでしょ」という批判 フジ片岡飛鳥はどう考えてきたか

フジテレビ・片岡飛鳥 独占ロングインタビュー#7

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「SMAPコンサートで口答えをして、申し訳ございませんでした」

<土曜夜8時というゴールデンタイムで始まった『めちゃイケ』。子供たちにもわかりやすいものをやらなくてはならない中で、このころの岡村は深夜番組の『めちゃモテ』と違って、エッジの丸められた企画に納得出来ないことも増えてきていた。片岡は始まった当初、『笑っていいとも!』も同時に担当していたため多忙を極め、そういった企画の意図を丁寧に伝える時間もなかった。そうしたことが積み重なり、岡村が片岡を飛ばして作家の伊藤に「『めちゃイケ』の内容が、僕は面白いとは思えない」と相談するまでに関係はこじれていた。そんな中でのSMAPコンサート乱入だったのだ。>

 それで岡村とケンカしながら「面白さがわからなくてもいいから、黙って踊れ」と。でも、それは言っちゃいけないことを言っちゃったなあという感じですよね。今だったら自分のいろいろな言葉を使って、演者を納得させる説明をする(→#3)と思うんですけど、忙しさやイラ立ちにかまけて言葉を尽くすことをサボっていましたね。

 ディレクターとしては揉めているからって収録をやめるわけにはいかない。ただし内容や視聴率に対する責任もとらないと「いいから、踊れ」の帳尻が合わない(笑)。実は大師匠の三宅恵介(※6)さんが教えてくれた金言の「空気を読め」「すべて説明しろ」(→#3)に続く3つ目が「辛い時こそ笑いに変えろ」だったんですけど、できないと言っているこの岡村の不安もドキュメントとしては面白いんだと、覚悟は決めていました。

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 結果、幸いにも岡村はコンサート本番で大爆発して、初めてのオファーシリーズはなんとか成功。たくさんの人から面白かったと言ってもらって今日があるんだと思います。番組がスタートしてたった1年ですから、あれがもしダメだったらその後の歴史は変わって、もっと早く『めちゃイケ』は終わっていたかもしれないです。だからこそ、そんな僕らと向き合ってくれた中居やSMAPにはいくら感謝してもしきれないんですよね。

ジャニーズJr.にまぎれてSMAPコンサートで踊った岡村。「ライブ乱入もの」というバラエティの演出フォーマットはこの日に生まれ、それから20年以上経った今もなお、テレビ界でのフォロワーが後を絶たない ©フジテレビ

 それから4年後のモー娘。の「オファーシリーズ」(2001年10月13日放送「モーニング娘。と修学旅行編」)でも、最後に彼女たちのコンサートに岡村が乱入して、「恋愛レボリューション21」を勝手に踊った。それがうまくいって、地方での泊まりだったし、うちの番組では滅多にないんですけど、ナインティナインとスタッフで一緒に夕食を食べに行った。そしたら矢部が挨拶で冗談っぽく「今回はさすがに無理じゃないかなとは思っていたんですが、また奇跡が起きてしまいました」とみんなを笑わせたんです。で、“奇跡を呼ぶ男”というキャッチフレーズがその夜に生まれた。当の岡村は解放感もあってだいぶ飲んで酔っ払って「昔、SMAPのコンサートで飛鳥さんに口答えをしてしまいまして、大変申し訳ございませんでした」って言っていましたね。ベロンベロンで(笑)。

モーニング娘。のコンサートに乱入。「恋愛レボリューション21」を勝手に踊り、石川梨華の大事な「ホイ!」を“泥棒”した岡村 ©フジテレビ

 こう振り返ると『めちゃイケ』はやっぱり、演者に大変なストレスを強いてきたし、その分こっちもストレスがある中で仕事をするのは当たり前なんですよね。どれも楽しいだけの現場ではないですから、ヒリヒリしていてしんどい。だけど「これが『めちゃイケ』なんだろうな」みたいな境地もあって、共通の目標を本当の意味で理解し合えたのがその2001年くらいだったと思います……でも思い出せば思い出すほど、バラエティの現場でディレクターとタレントがケンカするなんて地獄ですよ(笑)。やっぱり血の味が混じってるんだよなあ…。

​#8 「加藤のマラソンが間に合わない…」『27時間テレビ』片岡飛鳥がナイナイの前で泣いた日 へ続く

#1 『めちゃイケ』片岡飛鳥の告白「山本圭壱との再会は最後の宿題だった」
#2 「岡村さん、『めちゃイケ』…終わります」 片岡飛鳥が“22年間の最後”を決意した日
#3 「早く紳助さん連れて来いよ!」 『ひょうきん族』で片岡飛鳥が怒鳴られ続けた新人時代 
#4 「飛鳥さん、起きてください!」 『いいとも』8000回の歴史で唯一“やらかした”ディレクターに
#5 「160cmもないでしょ?」『めちゃイケ』片岡飛鳥と“無名の”岡村隆史、27年前の出会いとは
#6 「ブスをビジネスにする――光浦靖子は発明をした」『めちゃイケ』片岡飛鳥の回想

#9 「僕が岡村を休養まで追い詰めた…」『めちゃイケ』片岡飛鳥の自責と“打ち切りの危機”​​
#10 「最高33.2%、最低4.5%」『めちゃイケ』歴代視聴率のエグい振り幅――フジ片岡飛鳥の告白
#11 「さんまさんを人間国宝に!」ネット時代にテレビディレクター片岡飛鳥が見る“新たな光”とは?

※1 伊藤正宏…1963年生まれ。『とぶくすり』、『めちゃ×2イケてるッ!』、『料理の鉄人』、『クイズ$ミリオネア』、『空から日本を見てみよう』など数多くのバラエティ番組の構成作家を歴任。現在は『ポツンと一軒家』などを担当。
※2 マッコイ斉藤…フリーディレクター。1970年生まれ。AD時代はIVSテレビ制作で、演出家として全盛期だったテリー伊藤に師事。極楽とんぼやおぎやはぎ、有吉弘行らと親交が深く、『おねがい!マスカット』シリーズや『とんねるずのみなさんのおかげでした』『KAT-TUNの世界一ダメな夜!』などの演出を担当。
※3 是枝裕和…1962年生まれ。テレビマンユニオンのディレクターとして『NONFIX』などでドキュメンタリーを制作。『幻の光』で映画監督デビュー。2018年に『万引き家族』でカンヌ映画祭で最高賞となるパルム・ドールを受賞。
※4 三中元克…1990年生まれ。2010年に岡村隆史の大ファンとして『めちゃイケ』新メンバーオーディションに参加し、一般人として唯一合格。2016年2月によしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属。プロの芸人となって『めちゃイケ』に残留するか否かを賭けた「国民投票」でまさかの不合格となり『めちゃイケ』卒業となった。現在は ピン芸人 「dボタン三中」として活動中。
※5 吉田正樹…1959年生まれ。『夢で逢えたら』、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』などの演出、『新しい波』、『とぶくすり』、『笑う犬シリーズ』などのプロデュースを担当。現在はワタナベエンターテインメント会長。
※6 三宅恵介…1949年生まれ。『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんディレクターズ」のひとり。クレジットは「三宅デタガリ恵介」。『あっぱれさんま大先生』や『明石家サンタ』など明石家さんまの番組ディレクター・プロデューサーを歴任。

聞き手・構成=てれびのスキマ(戸部田誠)
写真=文藝春秋(人物=松本輝一)

「『めちゃイケ』はヤラセでしょ」という批判 フジ片岡飛鳥はどう考えてきたか

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