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白黒つけないリアリティ

『無名仮名人名簿』 (向田邦子 著)

2015/12/23

genre : エンタメ, 読書

「打ち合わせであなたの脚本が否定されたとしても、あなた自身が否定されたわけではないので大丈夫です」

 ――と、これまでやらせて戴いたシナリオの講義で何度か、脚本家志望の方たちに申し上げてきた。駆け出しの脚本家はホン打ち(脚本の打ち合わせ)で完膚なきまでに叩きのめされて心が折れ、そのままドロップアウトしてしまうことも珍しくないからである。ホンをけなされていちいちへこんでいては商売にならないし相手も困るので、落ち込まずに直しの要求に的確に応えてほしい、打たれ強くなってほしいという意味も込めての言葉であった。それは、メンタルの弱いわたし自身への言い聞かせでもあったのだが、最近、この言葉はどうも間違いだなあと思うようになってきた。

 脚本には、書き手の本質が怖いほどに色濃く出てしまう。どんなに気をつけてうまいこと書いたつもりでも、心の底に潜むうかつな本音がひょいと顔を出す。隠したつもりの嫌な心が浮き彫りになる。人として偽物だと自覚しているわたしが脚本を書く時、ひそかに恐れているのはそこである。

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 結局は書き手の中身がものを言う。

 そう痛感する時、いつも、向田さんを想う。

 わたしは生前の向田さんにお会いしたことがない。もう何十年も作家・向田邦子の熱烈な支持者ではあったが、具体的なご縁が生じたのはほんの数年前である。向田さん原作の短編小説『胡桃の部屋』を脚色させて戴く機会に恵まれたのだ。

 脚本家の候補に挙がっていると聞いた時、他の仕事をすべて断って待機した。待ち時間をずっと向田さんの作品を読み返し、観返して過ごし、そうして改めて感じたのは、向田さんという人の潔さ、懐の深さ、多面性、そして目線の限りない優しさである。

 向田さんは、人としてどこか未熟で欠点の多い人間を多く描かれる。愚かな人間ほど愛される。じたばたとみっともなく、それでも精一杯生きている人間を温かなまなざしで見守っておられる。そんな向田さんの優しさがそのまま、物語に投影されている。彼女の物語が愛されるのは、向田さん自身が愛される人だったからのように思う。

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