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30年前『いいとも』で初バラエティ “非難の嵐”でも田嶋陽子がテレビに出続けてきた理由

フェミニズムの“パイオニア” 田嶋陽子さんインタビュー#2

2019/11/04
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「大学教授が笑いものになってどうするんだ」

―― どんな非難が多かったですか?

田嶋 友達のフェミニストに「あれでよかったのかなあ」って相談したんですよ。そしたら、「人は誰でも間違いってものがあるんだから」と言われて、「エーッ」となった。すごく悩んだのは、自分が一番尊敬している論文の指導教官から絶縁されたことです。私が卒業論文を書けなかったとき、下宿にまで来てくれた先生。番組に出て1週間くらいしてから、「大学教授があんな番組に出て、笑いものになってどうするんだ。俺は恥ずかしい」と言われて、破門されました。そんなのが続いて、しばらくは胃を痛めておかゆばかり食べてました。

―― 『笑っていいとも』のコーナーは10回で終わりますが、その後『ビートたけしのTVタックル』などテレビへの出演が続きます。そのときも、他のフェミニストからの批判が多かったんですよね。

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「フェミニストたちは、私のことを嫌いました」

田嶋 フェミニストたちは、ほんとに私のことを嫌いましたね。あのころのフェミニストは左翼系の人が多くて、反近代主義が盛んだったから、テレビを超軽蔑してました。面と向かって「フェミニズムのことをもっとちゃんと言わなきゃダメじゃない」と言われたこともあります。だから、「あなたを紹介するから、代わりに出てよ」と言ったら、「私はダメよ」だって。その後、実際に出た人もいるけど、ワッと言われると何も反論できなかったですね。NHKならいいけど、お笑い番組に対応できる人はいなかったですよ。

―― 90年代以降、フェミニズムに関して、テレビの世界では田嶋先生が一人で戦っていたように思います。そのことに孤独を感じたことは?

田嶋 それはないです。私は自分が正しいと思ってたし、批判してくるフェミニストたちには「じゃあ、あんたたち、私のように身銭を切ってみなさいよ」と思ってました。でも、寂しかったのは、テレビ局の廊下で女性タレントとすれ違うとき、みんな下を向いて知らん顔するんですよ。テレビ局の中で、田嶋陽子の考えに共感してると思われたら、男たちに嫌われると思ったんでしょう。仕方ないなとは思ったんだけど、それはすごく寂しかったです。