フェミニズムの“パイオニア”田嶋陽子さん。1990年『いいとも』の1コーナーがきっかけでテレビに出始めました。当時、“非難の嵐”だったといいますが、なぜ30年近く、テレビ出演を続けてきたのでしょうか? 聞き手は演劇史研究者の笹山敬輔さんです。(全3回の2回目/#1、#3へ)
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1990年、初めて『いいとも』に出た日
―― 先生がテレビでご活躍されるのは、お母さまと和解した後なんですね。きっかけは、1990年7月、『笑っていいとも!』の1コーナー「花婿アカデミー」。
田嶋 そのころ、一般男性を対象にした「花婿学校」というのがあって、雑誌や新聞で評判になってたんですよ。校長が樋口恵子さん、副校長が斎藤茂男さんで、私も講師をしてました。『笑っていいとも』のスタッフがそれに目をつけて、私が出ることになった。忙しくてテレビを見てなかったから、『笑っていいとも』を知りませんでした。それで、初めて出た日、私のコーナーがずっと続いて、他にあった3つのコーナーを全部飛ばしたんです。
―― よっぽど盛り上がったんですね。
田嶋 盛り上がったもヘチマもない(笑)。私がすごく真面目に話そうとしたら、みんなで邪魔してくるんです。なんて失礼なんだと思いましたよ。頭にきて、目の前にあった水差しの水をかけてやろうと構えたところで番組が終わったんです。
「田嶋先生!」アルタを出ると手を振られた
―― 先生が出演したのは、笑福亭鶴瓶さんやウッチャンナンチャンが出てた曜日ですよね。
田嶋 私に攻撃を仕掛けてきたのは、ウッチャンナンチャンです(笑)。でも、あの人たちの攻撃はそんなに悪意がなくて、常識の範囲内でしたけどね。みんな、吹っかけ方が見事でしたよ。だから1時間もったんでしょう。最後に、鶴瓶さんが「新しいタレントが誕生しました」と言ったんだよ。そのときは意味が分からなかったけど。
―― さすが鶴瓶さんです。フェミニストがバラエティ番組に出たのは、きっと初めてですよね。反響も大きかったんじゃないですか?
田嶋 番組が終わってアルタから新宿駅に向かったら、エスカレーターの上から「ワーッ」という声がして、女の人たちが手を振ってるんです。誰にだろうと思って後ろを振り返っても誰もいない。そしたら「田嶋先生!」って言うんですよ。アルタに来てた女性たちが私を見つけて、手を振ってくれたんですね。
その日の夜にパチンコ屋の前を通ったときも、いきなり「キャーッ」って声がして、見たら中学生の女の子。その子が、「先生、今度は何言うの? 面白かったー」って言ってくれました。帰りの電車の中でも、子ども連れのお母さんが、「先生、よく言ってくれました」って涙を流すんです。ほんとにびっくりしました。でも、そんなのは最初の日ぐらいで、あとは非難ごうごう。