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柳下 毅一郎
2017/03/05

『アラバマ物語』の続編で感じた人種平等の難しさ

ハーパー・リーが『さあ、見張りを立てよ』で投げかけた現実

『さあ、見張りを立てよ』(ハーパー・リー 著 上岡伸雄 訳)

 1960年発表の『アラバマ物語』はたいへんな話題を呼び、人種問題の教科書とも評された。その続編『さあ、見張りを立てよ』を翻訳家の柳下穀一郎さんはどう読んだか。

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 続編小説は正編のファンのために書かれるものだ。だが『さあ、見張りを立てよ』については『アラバマ物語』を心より愛する読者は、あるいは手に取らないほうがいいかもしれない。

 ハーパー・リーの『アラバマ物語』は1960年に発表されるやいなやベストセラーになり、ピューリッツァー賞まで獲得する。62年には映画化され、こちらも語り手の父アティカス・フィンチを演じたグレゴリー・ペックがアカデミー主演男優賞を受賞する。人種差別の色濃い南部の田舎町で、強くはないが決して折れない信念の人であるアティカスはアメリカの理想の父親像とも目された。『アラバマ物語』は人種問題の教科書となったのである。処女作でおよそあらゆる栄誉をかき集めたリーはそのまま沈黙を保った。ところが、そのリーが死ぬ直前、2015年になって、突如第二作を発表した。

 物語は『アラバマ物語』のほぼ20年後、ニューヨークで暮らしているスカウトが故郷であるアラバマ州メイコムに帰ってくるところからはじまる。70歳を超えた父アティカスはまだ矍鑠(かくしゃく)としており、スカウトの恋人であるヘンリーを助手にして後継者として育てながら弁護士業を営んでいる。故郷の懐かしさと同時に閉塞した南部社会の窮屈さも感じているスカウト。ある日曜日、アティカスとヘンリーは「会合」に出かけていく。その集会をのぞいたスカウトは総毛立つ。それは公民権運動に反対し、人種隔離政策を擁護する「白人市民会議」の集会だったのだ。

 これは幻滅の物語である。スカウトは神のごとくに崇めていた父親、自分に人種平等の理想を教えてくれたアティカスが人種差別主義者と席を同じくしていることに絶望する。父親の声も無様な言い訳、理想への裏切りでしかない。人種平等の理想は尊いが、黒人に性急に白人と同じ権利を与えても不幸しか生まないだろう。黒人に権利を与えるのは、南部白人社会が育んできた価値をなげうつことだ。我々に本当にその準備ができているのだろうか?

 本書は、実は『アラバマ物語』の最初の草稿として書かれたものである。いわば『アラバマ物語』になれなかった残りの部分が本書になったわけである。それは『アラバマ物語』の補完、あるいは本音と読むこともできるだろう。あまりに理想化されすぎ、あるいは重荷でもあったかもしれないアティカスを、リーはどこかで悪魔祓いしなければならなかったのかもしれない。スカウトの理想は、2017年の現在まで、本当の意味では実現していないのだから。

Harper Lee/1926年アラバマ州生まれ。2016年没。デビュー作は20世紀アメリカ文学の代表作『アラバマ物語』。その第一稿の一部である本書が50年以上ぶりの著者第二作として2015年に刊行されるとベストセラーとなるも、その内容ゆえ現地では賛否両論に。

やなしたきいちろう/1963年大阪府生まれ。翻訳家。著書に『皆殺し映画通信』等。『柳下毅一郎の特殊な本棚』も電子書籍配信中。

さあ、見張りを立てよ

ハーパー リー(著),上岡 伸雄(翻訳)

早川書房
2016年12月20日 発売

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