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人種差別、性差別、暴力事件……なぜローマ法王は世界に“謝罪”しつづけるのか?

ヨハネ=パウロ2世以来、38年ぶりの来日

2019/11/24
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 フランスのカトリック教会は、1997年の9月にようやく謝罪表明をした。ドイツ占領下にあったフランス国内の多くのユダヤ人を収容所に送る中継地となったパリ郊外のドランシーで、フランス・ユダヤ教会の首長らを招いて、「未だ抗議と保護とが可能でありかつ必要であった最初の時期に援助をしなかったという責任を負い、その過ちを宣言する。我々は神に赦しを請うとともにユダヤの人々がこの悔悟の言葉を聞きとどけてくれるよう願うものである」とサン・ドニの司教が読み上げた。

4世紀前の虐殺事件まで謝罪する“反省合戦”

 ユダヤ人に対する謝罪だけではない。フランスのカトリック教会は、1997年7月になってパリのサン・ジェルマン・ロクセロワ教会に新教徒(プロテスタント)の代表を招いて、4世紀前の聖バルテルミーの虐殺事件を正式に謝罪している。宗教改革時代には、もちろん新教徒によるカトリック教徒の虐殺も存在したわけだから、今になってカトリック側が一方的に謝罪するというのは一種のスタンドプレーだと見られかねないほどだ。このように現カトリック教会の精力的な反省合戦の「身の軽さ」はなかなか印象的である。

ガリレオ・ガリレイの像 ©iStock.com

 しかしこれは現在の、ローマ教会全体としての確固たる方針なのだ。法王自身が、古くは十字軍による侵略への反省やルネサンスのガリレオ・ガリレイに対する糾弾の取り下げから、宗教改革のルターの破門の取り下げ、聖バルテルミーの新教徒虐殺の謝罪、再征服当時のスペインのイスラム教徒への謝罪、アメリカ先住民の虐殺や黒人奴隷の売買、異端審問の専横にいたるまで、あらゆる機会に謝罪している。ヨハネ=パウロ2世がポーランド人であるからこれらの罪の重さに耐えやすかったのだという意見もある。十字軍にもスペインの再征服にも、異端審問大法廷にも、ガリレオ裁判の法廷にも、黒人奴隷商人の中にも、ポーランド人はいなかったからだ。1996年6月に訪独した折には、わざわざルターの教会に行って破門を取り消そうとしたが、反対にあってあきらめている。2016年10月に始まったルター宗教改革500年記念年は、フランシスコ法王がスウェーデンのカテドラルでルター派と共に祝い、1年後には、ヴァティカン郵便局が十字架の下にルターを描いた記念切手まで発行した。

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なぜローマ法王はいとも簡単に謝罪できるのか?

 それにしても、仮にもひとつの宗教の首長ともあろう者が、何世紀も前の「過ち」にいたるまでこうしていとも簡単に謝罪してしまうのにはどのような背景があるのだろうか。

 これが普通の国家なら、戦争や国際問題についての公の謝罪をするとなると、ナショナリズムから自虐史観まで、ありとあらゆる思惑の対象となる。その理由は、普通の国家の謝罪には、当然物質的な賠償問題がともなうからだ。金、領土の割譲、主権の委譲などである。また謝罪を実際に行う個々の政治家や元首にもリスクがかかる。それは次の選挙における当落であったり、権威の失墜や世襲の断絶だ。

ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂 ©iStock.com

 その点、ローマ法王はこれらすべてから自由である。ヴァティカンは主権を有する国家として認められ、国連にも議席をもっているが、いわゆる領土はない。教会や修道会を通して世界中に不動産や文化遺産をもっているし世界中から喜捨があるが、賠償金として差し出す種類の金ではない。首長であるローマ法王はいわゆる国籍を超越している。ヴァティカンの主要構成民であるカトリックの聖職者たちは独身制を保っているから家族を持たず、ヴァティカンで生まれて育つ聖職者などいない。ローマ法王は原則として終身制であるが、子孫がいないから世襲は不可能だ。基本的に独立した成人のみを構成員としている上に、中核となる教えには共通の了解事項があるから歴史教育の配慮も必要ない。自国内での意見の調整や票集め、人気取りの画策も意味をなさない。保守保身の論理を前提としないのだ。