「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコの世界遺産に登録され、関連したテーマの本や記事を目にする機会が増えた。
筆者は三年前に『みんな彗星を見ていた――私的キリシタン探訪記』というノンフィクションを上梓した。その過程で痛感したのは、「キリシタンの世紀」を俯瞰することの難しさだった。日本が西洋と出会い、拒絶したこの時代は、西欧諸国との対外関係、戦国から幕藩体制への移行、修道会同士の対立などが複雑にからみあっている。ましてその中心には、信徒の内面と救済が関わる信仰がある。誰がどのような立場で見るかで、万華鏡のように異なった姿を見せる、それがキリシタンの世界といっていい。
映画や小説に描かれるほど、「踏絵」や「かくれキリシタン」といった固定のイメージが強化され、貧困化したキリシタン像が一人歩きしていく。ある断片だけを切り取って、この時代を理解するのは無理であるばかりか、危険ですらある、と常々思ってきた。
本書は潜伏キリシタン関連遺産から漏れた、「かくれ」の信仰を守り続ける生月島(いきつきしま)を追った、意欲的なノンフィクションである。
ほとんどのかくれキリシタン共同体がカトリック教会へ復帰したのに対し、生月島は先祖伝来のかくれ信仰を継続するほうを選んだことで知られる。世界にも類を見ない、最も信仰形態がよく保存されたこの共同体が、なぜ世界遺産から外されたのか。そこには、教会へ復帰しない彼らに対する、カトリック教会からの不当な扱いや、「あれは本来のキリスト教ではない」という視線があったのではないか。著者はその立ち位置から出発し、「やはりそうだった」という点に到達する。「新世界遺産から黙殺された島があった」「カトリック史の『重大タブー』に迫る!」と、やや煽情的に帯に書かれている所以である。
人の内面に関わる信仰に、優劣もなければ本物もまがいものもない、というのが筆者のスタンスだ。生月島のかくれの人々が生命の危険に晒されながら守った信仰は、尊く、現代に残る宝であると素直に思う。しかし彼らが強い意志と信条に基づき、「かくれ」の継続を選択したことを忘れてはいけない。彼らは被害者ではないのである。
確かに布教も世界遺産も、政治と密接に関わっていることは事実だ。しかしそれを「黙殺」や「不都合な真実」といった言葉で語られると、カトリック教会陰謀論に傾きすぎではないだろうかと感じる。彼らは果たして、それを望むだろうか。
本書をきっかけに、議論が活発化することを願う。
ひろのしんじ/1975年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。新聞記者を経て2002年に猪瀬直樹事務所にスタッフとして入所、07年より東京都専門委員。15年よりフリーランスのジャーナリストとして独立。17年、本書で小学館ノンフィクション大賞受賞。
ほしのひろみ/1966年東京都生まれ。ノンフィクション作家。著書に『コンニャク屋漂流記』『転がる香港に苔は生えない』など。