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菊間千乃独占告白
〈弁護士デビュー〉フジ涙の退社を乗り越えた私

『私が弁護士になるまで』 (菊間千乃 著)

source : 週刊文春 2012年1月19日号

genre : エンタメ, 読書

「発掘!あるある大事典」などで司会を務め、「めざましテレビ」「とくダネ!」などの情報番組で人気を博したフジテレビ元アナウンサーの菊間千乃さん(39)が、この1月、弁護士としてスタートを切った。なぜ、アナウンサーを辞め、法曹の道に進んだのか。そこには様々な「波乱」と「苦悩」があった。菊間さん本人が語る「人生の選択」。

◆ ◆ ◆

 私がロースクール(法科大学院)に通い始めたのは、6年前のことです。アナウンサーから一歩先のジャーナリストになるための武器にできれば、と考えました。このときは、会社を辞めるなんて考えてもいませんでした。

 夕方から午後11時近くまでロースクールで授業を受け、家に帰っても、予習と翌日の仕事の準備。朝の「こたえてちょーだい!」の司会を担当していたので、ベッドで寝るのは平均3時間ほど。会社の仮眠室や、車の中で睡眠を取り、1日2本は眠気覚ましの栄養ドリンクを飲んでいました。

順調に学業との両立をこなし始めた05年、事件は起きる。ジャニーズのグループ「NEWS」の未成年メンバーと飲酒したとして非難が殺到。自宅にもマスコミが押し寄せ、全番組を降板することになった。

 事件直後は、家にも帰れず、ロースクールの友人の家に「ちょっとだけ」とお願いして、結局2カ月も居候させてもらいました。会社から出社を控えるよう言われ、学校も夏休み。掃除や洗濯をして、彼女の帰りを待つのです。窓から青空を見ていると、訳もなく涙が出てきたりしました。

 出社できるようになっても、全員が私を非難しているようで、人目を避けるように、アナウンス室の自分の席にたどり着くのが精一杯でした。「今は力を溜めておくときだから」と会社の人には言われましたが、謹慎の身で仕事もなく、机でロースクールの教科書を開いてみても何も頭に入ってこない。1人になりたくて、駐車場の自分の車の中でお昼を食べることもありました。そんな私を支えてくれたのは、同期の伊藤(利尋)アナや高木(広子)アナたちです。お昼に誘ってくれたり、いつも側にいてくれました。弱音を吐けないでいる私に、自分の悩みも打ち明け一緒に泣いてくれた同僚もいました。

「とくダネ!」キャスターの小倉智昭氏も泣いた

 1年後、「とくダネ!」に復帰が決まりましたが、局にはクレームが殺到。辞めさせてください、とプロデューサーに言うと「番組があなたを必要としている。全力で菊間を守るから」と笑って迎え入れてもらいました。当時、そんな言葉をかけてくれる人はいませんでした。一生の恩人です。

 日々の仕事は楽しかったのですが、ロースクールも最後の1年となり、家で1時間寝て出社、とこれまで以上にハードな日々を過ごすこととなりました。そこで私の下した決断は、会社を辞め、司法試験に専念することだったのです。

「無謀だ」とも言われましたが、この先アナウンサーとして5年後、10年後があるかと考えると、あまり明るい未来が見えなかった。それより、長い将来を考えたとき、弁護士として生きる方向に進もうかなと。

 ロースクールの勉強で時間がなく、送別会はみな断りましたが、退社を報告すると、プロデューサーや小倉智昭さんも「もっと一緒にやりたかった」と涙ながらに声をかけて下さいました。そして、07年12月31日。アナウンス室で荷物をまとめ、「今日で最後なんで、帰ります」と言ったら、「とくダネ!」で一緒だった笠井(信輔)さんがエレベーターホールまで見送ってくれた。思わず私も号泣してしまいました。

 それから4年後、弁護士になれたとき、両親の次に、笠井さんに報告しました。

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