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【ロッテ】福澤二軍監督が若手に語り継ぐ“七夕の悲劇”の教訓

文春野球コラム ペナントレース2017

2017/04/29
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17連敗を喫した“七夕の悲劇”

「あれ、今年、七夕に神戸で試合がありますね」。事務所でデスクワークをしている時、ふと向かいに座っていた若い職員からそう告げられた。「あ、そうなんだ」。最初は聞き流してしまったが、ふと気になった。「もしかして、あれ以来?」。七夕の神戸でのオリックス戦といえば、ハッと気が付く方も多いはず。

 あれは98年7月7日。マリーンズが17連敗を喫したことでファンの間で今でも語り継がれている「七夕の悲劇」だ。「そう。あの日、以来よ。06年には7月8日に試合をしているけどね」と場内アナウンス担当の谷保恵美さん。一軍場内アナウンスを担当して1624試合を誇る名物ウグイス嬢は即座に回答をしてくれた。そう思うと急に感慨深くなってしまった。あの日以来、マリーンズは七夕の夜に神戸で試合を行うのだ。すぐにあの人に報告をしてみようと思った。

「そうですか。あの時、以来ですか。あの瞬間は忘れられないですね。打った瞬間だったですね。そこまでは正直、98%、勝ったと思っていました」

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 ロッテ浦和球場でその人は熱心に若い選手の動きを見ていた。あの日、マリーンズのスタメンマスクをかぶっていた福澤洋一二軍監督だ。午前の練習を終え、食堂に場所を移してからカレーを食べながら当時のことを振り返ってもらった。「ウチの長男が生まれた年だなあ」と横にいた佐藤幸彦ファームディレクターはしみじみ。その試合で左翼を守っていたのがこの人だ。当時、福澤二軍監督が31歳で、佐藤ファームディレクターが30歳。チームの連敗を止めようと必死にもがいていた選手たちは今、二軍で若手選手たちの指導を受け持つ立場となっている。

サヨナラ負けでプロ野球新記録の17連敗を喫し、ぼうぜんとするロッテベンチ ©共同通信社

「最悪の選択を導いてしまった」

 マリーンズは16連敗で神戸に移動。オリックスと対戦をした。試合は2点リードのまま、最終回を迎えた。先発の黒木知宏(現ファイターズ投手コーチ)は気迫のピッチングを続けていた。二死一塁。打者、ハービー・プリアム。2ストライクと追い込んだ。ここまでスライダーを中心に組み立てていたが、ここでインコースのストレートを選択する。その前に同じく外国人選手のトロイ・ニールにフォークを打たれたということもマリーンズサイドの頭によぎっていたこともあった。だから内角ストレートで勝負をかけた。

 あと1球だった。しかし、その魂の1球は少し引っかかり、甘めに入ってしまった。フルスイングされた打球は左翼に向かって一直線にグングンと伸びていった。「一歩も動けないぐらいの打球だった」(佐藤ファームディレクター)。左翼ポール際のスタンドに打球が吸い込まれていく光景を福澤二軍監督は今も鮮明に覚えている。

「ジョニー(黒木)も疲労困憊だった。そんなピッチャーの状態をあの時、マスクをかぶっていた自分はしっかりとは把握できていなかった。探ってもいなかった。最悪、打者のプリアムを四球という選択もあった。その中で自分は最悪の選択を導いてしまった。いろいろな情報を集めた中でリードをしなくてはいけない立場の自分が一番、してはいけないことをしてしまいました」

 土壇場での同点2ラン。連敗阻止に沸いていたマリーンズベンチから血の気が引いた。先発の黒木はマウンドで崩折れた。結果的に延長十二回にサヨナラ満塁弾を食らい、17連敗。チームはその翌試合も負けて18連敗を喫し、日本記録を更新した。

若手に引き継がれる悲劇の教訓

「今でもその時のことをよく聞かれますし、自分も若い選手に話をすることがあります。あの痛みを私は知っている。弱い時を知っているから、どういうことをしてはいけないのかもわかる。ピッチャーの状態を探れていなかった自分のミスも、四球でも最悪OKという状況を冷静に見られなかった当時の自分のこともわかる。だから、それを伝えるんです。キャッチャーはいろいろと状況を整理して、探って、答えを導き出さないといけないよって。してはいけないことを知らないより、知ってもらった方がいい。それを知っているのが自分なので……」

 だから、福澤二軍監督は今も若い捕手に語りかける。「一か月ぐらい、あの場面が脳裏をよぎって離れなかったよ。ホームランの残像が嫌でも頭をよぎった」。神妙に聞き入る若者に言葉を続ける。「でも、野球のことをずっと考えられる奴が勝つ世界だからな」。その言葉にはどこか強く深い説得力を感じる。

 ちなみに福澤二軍監督は27日ぶりに勝利した連敗ストップの日に一軍にはいない。18連敗を喫した日の試合でワンバウンドのボールを取りに行った際に右第一中手骨を骨折し戦線を離脱。連敗が止まったというニュースはテレビで知った。これまで18連敗に関する多くの取材も受けてきた。しかし、インタビューの中で福澤二軍監督がその時の悔しさ、屈辱を口にしたことはない。あくまで「失敗を今に生かす。若い人たちに伝えるのが自分の仕事です」と前を向いて熱く冷静にいつも語ってくれる。マリーンズの歴史は今もそうやって引き継がれているのだ。

 あれから月日は流れた。当時、大学生だった自分もその出来事をニュースで知り、衝撃を受けた。しかし、まさかその後、マリーンズの一員になるとは夢にも思っていない。平沢大河内野手は97年12月24日生まれだから、まだ1歳にもなっていない。当時のことを知る現役選手は当時、一塁を守っていた福浦和也内野手を残すのみ。「まさか、こんなに長いこと、現役をやらせてもらえるとは思っていなかったよね」と苦笑する。

 2017年7月7日のオリックス戦。多くのマリーンズファンが、いろいろな想いを巡らせながら試合を見ることだろう。翌年の99年7月7日には首位に立った。05年には日本一になった。あれから、いろいろな事があった。それぞれの人生を振り返りながら。

梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ広報)

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