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日本近現代史がわかる 最重要テーマ20日韓歴史認識和解が今後も進まない三つの理由

激しい対立は戦後すぐではなく、八〇年代から九〇年代に生まれた。その原因は両国関係の構造的変化にある

2015/03/19
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日本の経済的な重要性の低下

グラフ1 韓国の貿易におけるシェア
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 では、八〇年代或いは九〇年代以降、今日に至るまでの状況は、どの様な原因により齎されたのであろうか。一つの原因は、韓国側における日本の経済的重要性の急激な低下である。例えば、グラフ1は韓国の貿易に占める日米中三カ国のシェアの推移を示している。このグラフから明らかな様に、七〇年代前半頃までにおける日本のシェアは四〇%に迫る水準を有しており、当然、この時代の韓国経済における日本の重要性は、極めて大きなものであった。

 だが、この状況はその後劇的に変化した。つまり、韓国経済における日本の重要性の、全般的且つ大規模な低下が一斉に引き起こされる事となったのである。例えば先に見た貿易上のシェアにおいては、今日の日本の水準は嘗(かつ)ての五分の一以下にまでなっている。

 注意しなければならないのは、この変化が、日本経済が絶頂を極めた八〇年代に既に始まっていた事である。その事はこの現象が、日本経済の衰退により引き起こされたのではない事を意味している。

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 それでは、韓国における日本の経済的重要性の低下を齎した原因は何か。一つは八〇年代に始まる冷戦終焉に向けての動きである。周知の様に、冷戦下における韓国は、東西両陣営対立の最前線に位置する分断国家であり、中国やソ連をはじめとする東側陣営諸国家との国交すら有していなかった。当然そこでは公式の貿易関係等も存在せず、結果、西側陣営に属する韓国の主要友好国である日米への依存度は大きなものとなった。

 だが、この状況は八〇年代以降、大きく変化した。八二年に初めて韓国の公式統計に中韓の直接貿易が現われた事が示す様に、旧東側陣営諸国、とりわけ中国が重要な経済的パートナーとして登場した事により、冷戦下における韓国の二大重要パートナーであった、日米両国の存在が相対化されたからである。

 第二の要因は、韓国自身の経済発展である。嘗ての韓国は東アジアにおける最も所得水準の低い国の一つであり、当然、当時の韓国企業には、世界的規模でのビジネスを展開する能力は存在しなかった。彼らは資本や技術面でも多くを日米両国の企業に依存しており、それ故、両者の韓国への影響力も大きなものとならざるを得なかった。だが、高度成長の結果、韓国企業は資本・技術の両面における日米両国への依存度を急速に減少させ、世界市場でも独自のマーケットを開拓するに至る事になる。結果、韓国経済の日米両国への依存度は再び大きく低下する事になった。

 最後の要因は、これらを後押しする事になった世界経済のグローバル化である。注意しなければならないのは、グローバル化がその定義上「国際社会における選択肢の増加」を意味しており、情報通信革命ともあいまって、嘗ては関係を持つ事の困難であった、地理的に遠く離れた国々――例えば韓国にとっては、ブラジルや南アフリカ等の新興諸国――との交流の増加を齎す事である。結果、グローバル化の進む社会では、近隣地域との交流増加よりも速い速度で遠隔地域との交流増加が進む事になり、結果、近隣地域の重要性が低下する、という現象が齎される事になる。日韓間の貿易や交流が量的には増加しているにも拘らず、そのシェアにおいては大きく低下しているのは、日韓間の貿易や交流の増加速度を、韓国と他国の貿易や交流の増加速度が大幅に上回っているからなのである。

 結局、日韓間においてはこの三つの要素が密接に絡み合う事により、韓国経済にとっての日本の重要性が急激に低下する、という現象が齎されている。結果として出現するのは、日韓両国間に嘗て存在した古い関係改善メカニズムの崩壊である。例えば、八〇年代以前においては、日韓関係が悪化する度に、そのビジネスへの影響を恐れた韓国財界がこの改善の為に、政治家や世論に働きかける、という現象が観測できた。だが、現在の韓国の財界において、日韓関係の改善に積極的に動く人々は殆どいない。何故なら、歴史認識問題や領土問題を抱える両国間において、その改善作業に乗り出せば、逆に民族主義的な世論の批判を浴び、ビジネスへの異なる悪影響が出かねないからである。

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