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「情熱を持ち続けるのは難しい」棋士を目指す奨励会で感じた”プロになれる人との差”

「情熱を持ち続けるのは難しい」棋士を目指す奨励会で感じた”プロになれる人との差”

全国支部名人・知花賢さん33歳に聞く #2

2020/02/14
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ねぎらいの言葉で疲れが吹き飛んだ、奨励会時代

――奨励会時代はずっと、生活費を自分で稼いでいたのですか?

知花 収入は将棋連盟の販売や総務でのバイトが月に10日ほど。所司先生が紹介してくれたサークルなどで将棋を教える仕事、そして記録係です。記録係は、何か予定があっても(連盟のバイトなどは別にして)容赦なく入れられるので、他のバイトはできませんでした。それで何とか暮らしていました。節約のため5駅分とか歩くこともよくありました。

子ども将棋教室に教えに行った時。隣に写っているのは、小学生時代の小高悠太郎三段(知花さん提供)

 記録係の報酬は今よりも安くて、時給に換算するとバイトより低く「仕事じゃない、修行だ」と言われていました。若い先生に「飲み物買ってきて」とか使われるのは嫌でしたし、対局中に別部屋で昼寝する先生までいて「相手が指したら呼びに来て」と言われるのは、正直、不満でした。

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 今、トップ棋士や若手で活躍する棋士の中には、奨励会時代の記録係のときに舌打ちをしたり、最初からあぐらだったり、態度が良くなかった人もいます。まじめに我慢すればいいのではないのでしょうね。でも、自分はそんな堂々とした性格ではなく、心の中で不満に思うだけでした。

 一方、記録係をして「お疲れさまでした」「ありがとうございました」とねぎらいの言葉をかけてもらえると、疲れが吹き飛び、不満ばかりではなかったです。山口恵梨子女流は負けたときも、ねぎらいの言葉があって印象に残っています。

ちょっと感覚が狂った気がして、二段でストップ

――師匠の所司七段にはお世話になったようですが、他の棋士からは?

知花 松尾歩八段や石川陽生七段にはよく将棋を教わり、食事もご馳走になりました。豊川孝弘七段も、私の販売でのバイト終わりに「今日はどう?」とよく声をかけていただいて教わりました。加瀬純一七段には教室のお仕事に呼んでもらってありがたかったです。片上大輔理事(当時)には、退会するときに「頑張れよ」とお餞別をいただきました。他にも良くしていただいた棋士、女流棋士の方はたくさんいます。

――3級から二段まで1年8か月です。順調に昇級していたのに二段で止まってしまいましたね。

知花 二段に上がってから5か月で11勝3敗の星を作って、次の例会では2番続けて昇段の一番となることが分かりました。そのタイミングで、1年、居候させてくれた方の休みがとれたのです。前祝いに将棋の街・天童へ行き、直前に羽生善治王座(当時)のタイトル戦が行われた宿に1泊しました。その頃、新しく指導対局の仕事を始め、やり方が分からず、悪手をたくさん指して相手を勝たせるようにしていました。それで、ちょっと感覚が狂った気がして。昇段の一番は2回負けただけでなく、そのまま8連敗。

三段昇段を目前にしていた天童旅行にて(知花さん提供)

――うーん、それは辛い……。なかなか調子が戻らなかったのでしょうか?

知花 研究仲間みたいな人を失ったということもありましたね。しょっちゅう家にお邪魔して、指したり研究したりするアマチュアの方がいて、夜型の自分に深夜まで付き合ってくれました。棋力的にはやや格下でしたが、1人でいるとダラけてしまう自分には貴重な相手でした。その方が事件を起こして捕まってしまって。指せる相手がいなくなると、奨励会でも勝てなくなってしまいました。刑務所のその方から「将棋年鑑が欲しい」と手紙が来て、送ったこともありましたね。自分に対しては、とても良くしてくれたので。