文春オンライン

地震計の針は飛び散った。家屋崩壊、列車の転覆、地盤沈下――“関東大震災”が起こった日

2020/03/11
note

今にどこかへ飛んでゆくか、投げ落されるにちがいない

 不思議にも、私は少しの恐怖も感じなかった。すべての感覚は一時的に停止していた。ただ、これは地震だな、と思っていただけだった。

 しかし、次の瞬間には、大地が海のようになって、私の体がなにか液体のようなものの上でグルグル廻っているのを感じ、今に私も妻もどこかへ飛んでゆくか、どこかに投げ落されるにちがいないと思った。私の意識は、ほとんど空白状態にあった。

 思考能力がわずかにもどったのは、ようやく地震が鎮まった時であった。私は片手で垣根をつかみ、他の手で私にしがみついている妻を抱きしめていた。倒壊した家の下から、人々が1人の婦人を救け出すのが見えた。婦人は、まだ生きていた。

ADVERTISEMENT

 私は、死を考え、妻とはなれずに死にたいと思った。

©iStock.com

 その時、再び強い地震が起った。大地は、怒り狂ったように揺れた。

 人々が、傍の家の広い庭に続々と入ってきた。庭は、たちまち避難者でいっぱいになった。かれらは、さらに襲ってくるかも知れぬ地震にそなえて大木につかまりながら坐っていた。私も妻と庭に入って、土の上にしゃがみこんだ。

騒ぐ人もなく驚くべき沈着さをもっていた日本人たち

 日本人の群衆は、驚くべき沈着さをもっていた。庭に集った者の大半は女と子供であったが、だれ一人騒ぐ者もなく、高い声さえあげず涙も流さず、ヒステリーの発作も起さなかった。すべてが平静な態度をとっていて、人に会えば腰を低くかがめて日本式の挨拶をし、子供たちも泣くこともなくおとなしく母親の傍に坐っていた。

 その間にも、土地は揺れつづけ、丁度船に乗っているようであった。