東日本大震災の90年近く前、日本は大地震に襲われている。1923年9月1日、午前11時58分、関東地方を襲った地震は東京・中央気象台の観測室におかれていた地震計の針が1本残らず飛び散り、すべての地震計を破壊させてしまう規模だった。
建物の倒壊、直後に発生した大火災は東京・横浜を包囲し、おびただしい死者を出した。人々は混乱し、様々なデマが流れ――。20万の命を奪った大災害をノンフィクション作家・吉村昭氏が書いた『関東大震災』(文春文庫)より「激震地の災害」を再構成の上、公開する。激震地は東京、神奈川、千葉、埼玉、静岡、山梨、茨城の一府六県に及ぶ大規模な地震だった。
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小田原町では閑院宮御別邸が倒壊、寛子女王殿下が圧死した
震源地の相模湾に沿った最大激震地の災害は、すさまじかった。
小田原町では突然起った上下動の烈震で、崖は一斉に崩れ、橋は落ち、家屋はもろくもつぎつぎと倒され多数の死者を出した。同町小峰にあった閑院宮御別邸も倒壊し、別邸に滞在中の寛子女王殿下もその下敷きとなって圧死した。
箱根の温泉地でも866戸の家屋が倒壊し、旅館が断崖上から渓谷に墜落して四散した。殊に塔の沢では渓流が崖崩れでふさがれて鉄砲水が起り、旅館その他の家屋を流失させた。
横須賀では鉄道のトンネルが崩壊して列車三輛が埋まった
横須賀の地震による被害もひどく、丘陵の地すべりが発生し、鉄道のトンネルが崩壊して列車3両を埋め、2301戸の家屋が倒壊した。浦賀、逗子、葉山、大磯、平塚、藤沢、鎌倉等の家屋もほとんど倒れ、平塚では海軍火薬廠でガスの引火によって大爆発が起り構内の建物22棟が飛散した。また藤沢の吉村別邸では東久邇宮師正王殿下が、鎌倉の由比ヶ浜別邸では山階宮妃がそれぞれ圧死した。
神奈川県下の家屋倒壊数は、全壊46719戸、半壊52859戸、計99578戸にのぼり、全家屋数274300戸の36パーセント強にあたる。それ以外に津波によって流失した家屋が425戸もあった。
横浜市は、神奈川県庁の所在地であるとともに日本最大の港湾都市でもあった。外国人の居住・滞在者も多く、官庁、商社も設けられていて、その烈震は市の機能を完全に壊滅させた。
脚本家スキータレツという一外人は、横浜市内で遭遇した地震の印象を次のように記している。かれは、来日後妻とともに大森のホテル望翠楼に2カ月間滞在していたが、横浜市山の手の中村町にある借家に転居することにきめ、その日――9月1日に引越荷物をもって横浜市内に入ったのである。