東日本大震災の90年近く前、日本は大地震に襲われている。1923年9月1日、午前11時58分、関東地方を襲った地震は東京・中央気象台の観測室におかれていた地震計の針が1本残らず飛び散り、すべての地震計を破壊させてしまう規模だった。

 地震直後に発生した大火災は東京・横浜を包囲し、圧死・溺死を合わせ9万人の命を奪った。この大災害をノンフィクション作家・吉村昭氏が書いた『関東大震災』(文春文庫)より都内に火災が拡がっていく様子を詳細に記した「東京の家屋崩壊」を一部抜粋して公開する。

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警告されていた大火災の発生

 東京帝国大学地震学教室の今村明恒助教授は、東京に大地震が発生した折には大火災が起ると警告していた。それは、安政2年の江戸大地震をはじめ地震が火災発生をうながす前例にもとづいたものだが、殊に東京市では石油ランプ等の新しい西洋器具が入っているので火災原因が増していると指摘していた。また市内に水道は発達してきているが、地震によって水道管が破壊され消防能力も失われ、市街は延焼するにまかせられるだろうと予測していた。

 こうした今村助教授の警告はすべて的中し、さらに悪条件が加わって火災は随所に発生した。

地震発生時、家庭でも飲食店でも昼食の準備中だった

 その日、風向は南又は南東で、風速は低気圧の影響を受け10メートルから15メートルとかなり激しいものであった。また夏季であったので火鉢、炬燵等の煖房具はなかったが、地震発生時が午前11時58分44秒という正午寸前の時刻であったので、各家庭では竈(かまど)、七輪等に火をおこして昼食の仕度をし、町の飲食を業とする店々でも客に出す料理をさかんに作っていた。

 地震が突然起った時、人々は激烈な震動に狼狽して竈等の火を消す精神的ゆとりをもつ者は少かった。殊に倒壊した家では、圧死からのがれるだけが精一杯で、竈や七輪におこっていた火の上に材木や家財がのしかかり、たちまち火災が起った。

 また天ぷら屋などの飲食店では、激しい震動で油が鍋からこぼれ出て引火した。