東日本大震災の90年近く前、日本は大地震に襲われている。1923年9月1日、午前11時58分、関東地方を襲った地震は東京・中央気象台の観測室におかれていた地震計の針が1本残らず飛び散り、すべての地震計を破壊させてしまう規模だった。
建物の倒壊、直後に発生した大火災は東京・横浜を包囲し、おびただしい死者を出した。人々は混乱し、様々なデマが流れ――。20万の命を奪った大災害をノンフィクション作家・吉村昭氏が書いた『関東大震災』(文春文庫)より「東京の家屋崩壊」を再構成の上、一部抜粋して公開する。
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東京・消防署勤務だった林錠太郎さんの回想
麴町区第一消防署勤務であった林錠太郎氏の回想によると、その日も若い署員が望楼に上って火災発生を監視していた。
正午少し前、林氏が突然起った地震で署外に飛び出し望楼を見上げると、鉄骨作りの望楼が左右に激しく揺れている。倒れる恐れがあると思ったが、望楼は柔軟にしなうだけで折れる気配はなかった。
瓦が落下し壁が落ち、街の色彩は急激に変化してゆく
後になって署員に地震発生時の状況をきくと、署員は望楼の上に伏して振り落されまいと手すりにしがみつき眼下の市街を見つめていた。
街々は、篩(ふるい)の上の豆粒のようにひしめきながら震動していた。地鳴りのようなすさまじい轟音がふき上って、激浪の逆巻く大海にもまれる小舟にしがみついているような心細さを感じたという。
そのうちに街の色彩が急激に変化していった。瓦が落下し壁が落ちはじめたのだ。と同時に、茶色い土埃が一斉に立ちのぼり、震動しつづける街をおおいかくしていった。