昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/03/11

花屋敷の檻が破れたのか、動物を射殺するらしい銃撃音

 政男たちが立ちすくんでいると、凌雲閣の飛び散った煉瓦に傷ついた者や土埃に包まれた者たちが逃げてくる。さらに花屋敷の檻も破れたのか、さまざまな鳥類が飛び交い、獣類を射殺するらしい銃撃音もきこえてきた。

 そのうちに、池の近くにあるキネマ倶楽部が傾いてきたので、政男は、他の人々とともに浅草観音の境内に逃げた。が、早くも花屋敷方面に起った火災の炎が近づいてきて、かれは母のいる家へ帰るため吾嬬橋を渡って本所区に足を踏み入れた。

凌雲閣の頂上展望台にいた人々

 凌雲閣は、東京の代表的な高層建築物であっただけにその倒壊は東京人の関心をひいた。その日、凌雲閣の頂上展望台附近には12名乃至13名の登閣者があったが、8階から折れたため地上にふり落されて即死し、ただその中の1名は途中福助足袋の大看板にひっかかって奇蹟的にも死をまぬがれた。

 堅牢と思われていた他の大建築物にも倒壊又は大破したものが多く、丸の内のビルディング街でも工事半ばのビルや土台の軟弱な建物がつぎつぎに倒れた。さらに丸の内郵船ビルの裏手に建築中であった内外ビルも後方に倒れ、工事作業中の労務者300余名が圧死した。

©iStock.com

 また芝区三田四国町にあった日本電気会社工場は米国製の最新式設備をもった3階建て鉄筋コンクリート造りであったが、第一震でもろくも全壊した。当時工場内には約400名の社員・職工が勤務中で、出口近くにいた十数名の者をのぞく全員が瓦礫の下敷きになって死亡した。

地割れが発生し、橋梁は落ち電柱は倒れ、水道管が破裂

 その他、市内各所に地割れが生じ、橋梁は落ち電柱は倒れ水道管は破裂して、隆起・沈下によって東京市とその周辺の大地は激しく波打った。

 下町の本所区は、家屋全壊493戸、半壊479戸という大被害を受けているが、当時小学生であった内馬場一郎氏の回想談を記してみる。

内馬場一郎さんの回想談

「私の家は南二葉町にあって、本所被服廠跡(ひふくしょうあと)のすぐ前の横丁を入った所にありました。家業は金属加工業で、職人を10名ほどかかえておりました。

 その日(9月1日)は2学期がはじまる日で、始業式を終えて帰宅してから十軒ほどはなれた友達の家に遊びに行きました。ひととき遊んだ頃、友達の家の台所でまな板に庖丁を小刻みにあてる音がしてきました。母から他人様の家で遊ぶのもよいが食事時近くになったらすぐ帰ってこなければならぬと厳しく言い渡されておりましたので、友達の家を出ました。

 その時です。突然体がはね上ったと思った直後、地面が横に激しく揺れはじめました。立っているどころではなく、恐しさでしゃがんでしまいますと、傍の家の瓦が波のような音を立ててすべり落ち、壁も崩れてきます。そのうちに激しくきしみながら揺れていた眼前の家が、土煙りをあげて露地に倒れました。