最大の発火原因になったのは……
さらに最大の発火原因になったのは、薬品だった。
学校、試験所、研究所、製造所、工場、医院、薬局等にあった薬品類は、棚等から落下して発火した。特に学校からの出火は最も多く、蔵前片町の東京高等工業学校(3カ所)、富士見町の日本歯科医学専門学校、明治薬学専門学校、牛込区市ヶ谷の陸軍士官学校予科理科教室、本郷区の東京帝国大学工学部、同大学医学部、同医学部薬学教室(4カ所)、同医学部外来患者診察室、麴町区の麴町高等小学校、芝区の慈恵会医科大学、小石川区の専修高等女学校、日本女子大学校からそれぞれ出火した。
地震発生と同時に、火災は東京市内15区すべてに起り、麴町区10、神田区12、日本橋区2、京橋区10、芝区3、麻布区1、赤坂区4、四谷区1、牛込区5、小石川区7、本郷区10、下谷区12、浅草区23、本所区17、深川区11、計134、また郡部でも44カ所から出火、合計178カ所にも及んだ。
強風にあおられてできた巨大な火の流れ
そのうち83カ所は、出火後消防署員、民間人の消火活動によって消しとめたが、95カ所で発した火災は強風にあおられて巨大な火の流れとなって延焼し、さらに火災現場からの飛火も激しく、市内のみでも飛火によって100余カ所から火の手があがった。中には、隅田川を越えて対岸に飛火した例もあって、東京は炎の逆巻く世界に化した。
炎は炎と合流し市内のみでも58の大火系となって、最も速度のはやい火系は毎時800メートル以上の速さで町をなめつくしていった。
58の火の流れのうち13の火系は、100万平方メートル(約30万坪)以上の地域を焼失させた。
まず本所区菊川町1目の煮豆商と2丁目の下駄歯入業、自動車業からそれぞれ起った火は合流して北へ進み、さらに東南に転じて一気に竪川(たてかわ)以南大横川東部の地域を焼きはらって郡部にも達した。