明治29年、昭和8年、昭和35年、そして平成23年……青森・岩手・宮城の三県わたる三陸沿岸は大津波に襲われ、人々に被害をもたらしてきた。

 2011年の東日本大震災がおこる40年以上前に書かれた『三陸海岸大津波』は、過去3度の津波の前兆、被害、救援の様子を体験者の証言を元に再現した吉村昭氏のノンフィクション小説である。その中から「津波との戦い」を公開し、田老の歴史を振り返り “礎”  としたい。
※『三陸海岸大津波』は1970年に刊行された本で、記述は当時のものになります。

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津波の被害度は減少傾向だった

 津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している。

 海底地震の頻発する場所を沖にひかえ、しかも南米大陸の地震津波の余波を受ける位置にある三陸沿岸は、リアス式海岸という津波を受けるのに最も適した地形をしていて、本質的に津波の最大災害地としての条件を十分すぎるほど備えているといっていい。津波は、今後も三陸沿岸を襲い、その都度災害をあたえるにちがいない。

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 しかし、明治29年、昭和8年、昭和35年と津波の被害度をたどってみると、そこにはあきらかな減少傾向がみられる。

 死者数を比較してみても、

 明治29年の大津波……26360名

 昭和八年の大津波……2995名

 昭和35年のチリ地震津波……105名 と、激減している。

 流失家屋にしても、

 明治29年の大津波……9879戸

 昭和八年の大津波……4885戸

 昭和35年のチリ地震津波……1474戸 と、死者の減少率ほどではないが被害は軽くなっている。その理由は、波高その他複雑な要素がからみ合って、断定することはむろんできない。しかし、住民の津波に対する認識が深まり、昭和8年の大津波以後の津波防止の施設がようやく海岸に備えはじめられてきたことも、その一因であることはたしかだろう。