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自然が人間の想像をはるかに越えた姿をみせるとき
しかし、自然は、人間の想像をはるかに越えた姿をみせる。
防潮堤を例にあげれば、田老町の壮大な防潮堤は、高さが海面より10.65メートルある。が、明治29年、昭和8年の大津波は、10メートル以上の波高を記録した場所が多い。
私は、田野畑村羅賀の高所に建つ中村丹蔵氏の家の庭先に立った折のことを忘れられない。海面は、はるか下方にあった。その家が明治二十九年の大津波の折に被害を受けたことを考えると、海水が50メートル近くもはい上ってきたことになる。
そのような大津波が押し寄せれば、海水は高さ10メートルほどの防潮堤を越すことはまちがいない。
しかし、その場合でも、頑丈な防潮堤は津波の力を損耗させることはたしかだ。それだけでも、被害はかなり軽減されるにちがいない。
「三陸沿岸の人々は、津波に鋭敏な神経をもっている」
十勝沖地震津波の1カ月ほど後、私は、三陸沿岸を旅した。
或る夜明けに、かすかな地震があった。
私はとび起きて、宿屋のガラス越しに海をながめ、海岸を見渡した。夜の漁をした漁船が浜にもどって来ていて、村人が漁獲物を整理している。その人々に、異様な動きはみられなかった。
私は安心して再びふとんにもぐりこんだ。三陸沿岸の人々は、津波に鋭敏な神経をもっている。もし海に異常があれば、その人々は事前にそれを察知するにちがいない。
明治29年の大津波以来、昭和8年の大津波、昭和35年のチリ地震津波、昭和43年の十勝沖地震津波等を経験した岩手県田野畑村の早野幸太郎氏(87歳)の言葉は、私に印象深いものとして残っている。