明治29年、昭和8年、昭和35年、そして平成23年……青森・岩手・宮城の三県わたる三陸沿岸は大津波に襲われ、人々に被害をもたらしてきた。

 2011年の東日本大震災がおこる40年以上前に書かれた『三陸海岸大津波』は、過去3度の津波の前兆、被害、救援の様子を体験者の証言を元に再現した吉村昭氏のノンフィクション小説である。その中から昭和8年の「田老の津波」を全文公開する。

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明治29年の大津波襲来――死者1859名

 被害は、明治29年の大津波襲来の折と同じように岩手県が最大であったが、その中でも下閉伊郡田老(たろう)村の場合は最も悲惨をきわめた。

 明治29年の折には、田老、乙部、摂待、末前の四字のうち、海岸にある田老、乙部が全滅している。田老、乙部の全戸数は336戸あったが、23メートル余の高さをもつ津波に襲われて一戸残らずすべてが流失してしまった。人間も実に1859名という多数が死亡、陸上にあって辛うじて生き残ることができたのはわずかに36名のみであった。なお、このほかに難をまぬがれた村民が60名いる。それはその日15艘の船にのって沖合8キロの海面に出ていた漁師たちで、マグロ漁に従事していた。

 その漁師たちは、津波の発生時刻に突然陸地の方で汽車のばく走するような轟音をきいた。

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 かれらは、顔を見合わせた。なにか大異変が起ったにちがいないと察して、網を急いで引き上げると力を合わせて陸地の方へ漕ぎ進んだ。

 その途中、3度の大激浪に遭遇した。かれらは、ますます不安にかられて必死に港の方へ船を進ませようとしたが、無数の材木が流れてきて、その上波も高く入港することはできない。やむなく港口で碇をおろし、陸地の方をうかがっていたが、全村の灯はすっかり消えていて、しかも、

「助けてけろ――」

 という声がかすかにきこえてくる。

 漁師たちは顔色を変え、家族の身を案じて救助におもむこうとしたが暗夜と高波のため岸に近づく手段もなく、ようやく夜が明けてから港に入った。

 かれらの眼に、悲惨な光景が映った。人家は洗い去られて跡形もなく、村は荒涼とした土砂と岩石のひろがる磯と化していた。

 かれらは陸に上り村落の全滅を知ったが、極度の驚きと悲しみで涙も出なかったという。

 そのような打撃を受けた田老村は、その折の災害から37年たった昭和8年に、またも津波の猛威によって叩きつぶされたのだ。