昭和8年3月3日、はげしい地鳴りをともなった地震で全村が停電
昭和8年3月3日午前2時30分頃、田老村の住民は、はげしい地鳴りをともなった地震で眼をさました。家屋は音をたてて震動し、棚の上の物は落ちた。時計は、どこの家庭でもとまってしまった。かなり長い地震で、水平動がつづいた。
人々は、十年来経験したこともない強い地震に不安を感じて戸外へとび出した。
地震のため電線がきれ、全村が停電した。
遠く沖合で、大砲を打つような音が二つした。たまたま村の近くで道路改修工事がおこなわれていたので、人々は工事現場で仕掛けたハッパの音にちがいないと思った。
地震がやみ、電灯がともった。
人々はようやく気持も落着いて、それぞれの家にもどったが、再び大地が揺れて電灯が消えてしまった。
「こんな時には、津波がくるかも知れない」
不安が、人々の胸にきざした。明治29年の大津波の記憶は生々しく、老人たちも、
「こんな時には、津波がくるかも知れない」
と、口にした。
注意深い男たちは、戸外に出て津波の前兆ともいうべき現象があらわれていないかをたしかめた。
津波来襲前には、川の水が激流のように海へと走る。井戸は、異常減水をする。海水は、すさまじい勢いで沖合に干きはじめる。人々は、灯を手にそれらを注意してみてまわったが、異常は見出せなかった。
かれらの不安は消えた。津波は、地震後に発生するおそれがあるが、その気配はない。
人々は家にもどると、冷えきった体をあたためるため炉の火をかき起し、もう一眠りしようとふとんにもぐりこんだ。
静まり返った村内に、突然沖から汽船の警笛が余韻をひいて伝わってきた。それは、なにか異変を告げるような不吉な音にきこえた。
一部の家では、その音に人々がとび起きた。
「津波か?」という言葉が、「津波だ!」という言葉として近隣にひろがっていった。