「容体が急変したのは、その日の夜からだった。気持ちが悪くなり、モノが食べられなくなり、寝込んでしまった。その後、体調はどんどん悪化し、最悪の状態に陥ったのは、2日後の12月29日だった」…ステージ4のがん治療のため、抗がん剤治療を受けるも、薬との相性が悪かった森永卓郎さん。森永さんがそこで見た「死を予感した光景」とは? 新刊『がん闘病日記』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

森永卓郎さんが教えてくれた「がん治療」の大変さとは? 写真はイメージ ©getty

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抗がん剤で死にかける

 がんの治療は、摘出手術や放射線治療などもあるのだが、私の場合は、どこにがんがあるかわからないのだから、そもそも手術や放射線治療はできない。唯一の選択肢は、化学療法、つまり抗がん剤治療だった。

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 抗がん剤は、がんの部位によって種類が分かれている。私の場合は、「ゲムシタビン」という抗がん剤と、「アブラキサン」という抗がん剤の2種類を同時に点滴することになった。

 主治医は「アブラキサンのほうが効果は高いが、副作用も大きいだろう」という話をしていた。ほぼ間違いなく髪の毛は抜けるし、吐き気を伴う可能性もある。そのほかにも、人によってさまざまな副作用が出てくるという。

 ただ、私は楽観的に構えていた。もともと髪の毛は薄くなっていて、ふだんから帽子をかぶっていたし、我慢強い性格なので、少々気持ち悪くなっても大丈夫だと思っていたのだ。

 抗がん剤の点滴を打つことになったのは、12月27日の水曜日だ。午前中、ニッポン放送の「垣花正 あなたとハッピー!」の生放送を終えて、そのまま電車で病院に直行した。

 点滴を打つ部屋には、ずらりとリクライニングシートが並んでいて、7~8人の患者が抗がん剤の点滴を受けていた。苦しそうな表情を浮かべている患者は一人もおらず、私も軽い気持ちで点滴を始めた。案の定、体になんの変化もなく、「なんだ、簡単じゃないか」というのが、そのときの気分だった。

 容体が急変したのは、その日の夜からだった。

 気持ちが悪くなり、モノが食べられなくなり、寝込んでしまった。その後、体調は

どんどん悪化し、最悪の状態に陥ったのは、2日後の12月29日だった。

 このときは、1日でイチゴを3粒しか食べられなくなり、意識も朦朧としてきた。はた目にも、私の具合が相当悪いことは、はっきりわかったようで、妻は2人の息子を呼び寄せた。

 当時のことを長男の康平は、「情報ライブ ミヤネ屋」で次のように語っている。

 母親に呼ばれて私と弟も家に帰りまして、父親を見たらぐったりしていて、かろうじて会話はできるんですけど、本当に体調が悪かったんだと思うんですよね。3日ぐらいイチゴ2~3粒ぐらいしか食べてないと母親から聞いていたので、このままだと、がんがどうこうより餓死しちゃう可能性もあるので……。

 父親はすごく頑固なので、「入院しろ」と言っても、しないだろうなと思ったら、父親が自分から支度を始めたので、たぶんそれくらい体調が悪いんだろうなと思いました。

 康平の見立てのとおり、このときははっきりと「死」を意識した。三途の川が、はっきりと見えたのだ。