医師から通告されたのは余命4ヶ月、ステージ4のがん…。66歳で難病と戦うことを余儀なくされた経済アナリストの森永卓郎さん。なぜ病魔の存在に気づけなかったのか? そして余命通告はその後の生き方をどう変えたのか? 新刊『がん闘病日記』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

余命4ヶ月を通告されて、森永卓郎さんはどう変わったのか…? ©時事通信社

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晴天の霹靂

「来春のサクラが咲くのを見ることはできないと思いますよ」

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 医師からそう告げられたのは、2023年11月8日のことだった。余命4カ月の通告だった。

 それまで私は、数カ月に一度のペースで、近所の糖尿病専門クリニックに通って、定期検査を受けていた。糖尿病自体は、ライザップで行なった低糖質ダイエットの成果で、7年も前に完治していたのだが、念には念を入れて、検査だけはずっと続けていたのだ。

 その検査で、糖尿病の主治医が「一度、人間ドックを受けたほうがよい」というアドバイスをしてくれた。私の体重が、平時よりも5キロほど減っていたからだ。

 当時、私は仕事が集中していて、全国を飛び回っている状況だったから、体重減は過労が原因なのかなと思っていたのだが、主治医から強く勧められたので、人間ドックを受診することにしたのだ。

 冒頭のセリフは、人間ドックで行なわれたCT検査で撮影した私の体内画像を見ながら、家の近くの病院の医師が発した言葉だった。

 CT(Computed Tomography)検査は、円筒形の装置のなかに体を滑り込ませ、周囲からX線をあて、体の中の吸収率の違いをコンピュータで処理し、体の断面を画像にするものだ。縦方向にも、横方向にも、連続的に体内の断面画像を表示できる仕組みだ。

 撮影された画像には、肝動脈(肝臓に血液を送る血管)の周囲にモヤモヤの影が映っていた。医師の見立ては、それががんから浸潤してできたもので、すでに原発のがんから転移しているので、ステージIVということになる。末期がんだというのだ。

 私はにわかには信じられなかった。何しろ、なんの自覚症状もない。朝から晩までフル稼働で仕事をして、食事もモリモリ食べていた。ただ、事態は一刻を争うということで、翌日の11月9日から徹底的な検診を行なうことになった。血液検査、レントゲン、心電図、造影CT(薬剤を投与して、より詳しいCT画像を撮影する)、PET検査、そして内視鏡検査などだ。

 PET検査という言葉には馴染みがないかもしれない。PETというのは、Positron Emission Tomographyの頭文字を取ったもので、まず、検査を受ける人の静脈にFDGと呼ばれる放射性フッ素を付加したブドウ糖を注射する。そして、細胞に取り込まれたブドウ糖量の分布を画像化するのだ。

 がん細胞の最大の好物は糖分だ。だから、がん細胞は糖分が体に入ってくると、積極的に取り込む。その際、放射性フッ素も一緒に取り込んでしまう。その後、放射性物質に反応する特殊なカメラで撮影すると、がん細胞が集まっているところが光って見えるという仕掛けだ。

 PET検査では、全身を撮影できる。つまり、すべての臓器の状況を見ることができるのだが、私の検査結果で、光って見えたのは胃とすい臓だけだった。