「会えない」と「会いに行けない」は違う
チリンチリンにはしゃいでいたオースティン選手が2発のホームランを那覇の空に放ったのを観て、私は帰路に着いた。倉本を観ることは出来なかったが、それでいいと思った。キャンプはいつも私に始まりの鐘を鳴らしてくれる。シーズンが始まればネットの向こうで、私なんかには想像だにできないパワーとスピードと繊細さを見せてくれる選手が、キャンプ中にはすぐ横を笑いながら歩いていたりする。私たちと同じように自転車に乗ったり、クレープを食べたりする。近づくからこそ、離れていることが分かる。私と選手の距離は、そうやって永遠に縮まることはない。だからずっと好きでいられる。倉本に会いたくてわざわざ沖縄まで来たのに、会えなくて少しホッとしている私もいた。倉本は遠きにありて思うものだから。
だけど、やっぱり違うのだ。会えなかったことと、会いに行くことすら奪われてしまうことは。付けっ放しにしていたテレビは淡々と勝利を報せた後、整然と並んだブルーのシートをただ映し続けた。それを眺めながら、知った。輪郭しかなかった私の人生に色をくれた野球の、私もまた、その色の一つを担っていることを。さみしい客入りだろうが満員御礼だろうが、観客の感情がそこに息づいているのは変わらない。プレー一つ一つに興奮したり期待したり落胆したり歓喜したり、観ている人の感情は色となってスタジアムを包む。それはテレビ画面からも、スマホの1球速報であっても、伝わってくるから。夫に言いたかったのは、多分こういうことだ。
私は、ファン歴の浅さに少し気後れしながら、実は野球という長い長い歴史に安心しきっていたのかもしれない。昔からそこにあるのだから、きっとこれからもずっとあってくれる。しかし未知のウィルスは、いとも容易くその「当たり前」を蝕んだ。
火災で甚大な被害を受けた首里城へ
今年のキャンプで、どうしても行きたかった場所がある。首里城。去年の10月、火災により甚大な被害を受けた。今どうなっているんだろうと、私は一人車を走らせた。正殿と北殿はほぼ焼失し、至る所に立ち入り禁止のラインが引かれている。生々しかった。胸が詰まった。全然なんくるなくなかった。
「なんくるないさ」には、本来「まくとぅそーけ」という言葉が頭につくのだという。まくとぅとは「真」。だから「正しい道を歩む努力をすれば、いつか良い日が来る」というのが本当の「なんくるないさ」なのだと。自然災害や、戦争、どうにもならない大きな渦に巻き込まれ続けてきた沖縄だからこそ、生まれた言葉なのだと思った。
あの日も立ち入り禁止区域の向こうで、再び首里城を蘇らせようと働く人たちがいた。土産物屋のおばちゃんも笑顔で客を出迎えていた。なんくるないはずはないけど、なんくるない。今私は初めて味わう「喪失」に戸惑い、心の置き所が分からなくなっている。だけど今できることは自分なりの「まくとぅ」だけ。それが幸か不幸か、野球に命を吹き込む彩りの一つとなった私にできることなのではないかと。
生きるということは、失くしてしまったら辛くなるような大切なものをわざわざ集める旅だ。家族も友達も、野球も。だけど集めずにはいられない。私は生きている。もっと強くならなきゃ。私の「まくとぅ」、クローゼットにしまった倉本のユニフォームを、ぎゅっと抱きしめた。
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