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連載地方は消滅しない

葉上 太郎
2017/08/21

地方は消滅しない――山口県萩市見島の場合「幻の牛と生きる」

イラストレーション:溝川なつみ

 牛がにゅうと首を出して、手元の飼料を直接食べそうになった。

「わぁ」。吉村真菜子(まなこ)さん(13)が思わず手を引っ込める。

「食べる時の牛は必死だからね」

 飼い主で見島牛(みしまうし)保存会の多田一馬会長(69)が笑う。32頭を飼う農家だ。

「でも、かわいい。最初は怖かったけど、目がぱっちりしていて、だんだん愛着がわいてきました」。少し慣れてきた吉村さんは、手際よく餌(えさ)や水を与えていった。

 山口県萩市の見島。城下町の萩から44.3キロメートル離れた日本海に浮かぶ孤島である。

 見島牛はこの島にしかいない。

 本土の和牛は明治期以降、外来種の血を入れて改良した時期があったが、見島ではその影響を受けず、和牛本来の姿を残してきた。このため1928年、国の天然記念物に指定された。だが、多田さんら7軒の農家が約80頭を飼っているにすぎず、「幻の牛」となっている。和牛本来の姿を残す牛は、ほかに鹿児島県・口之島(くちのしま)の口之島牛しかいない。

 吉村さんは全校生徒6人の見島中学校1年生だ。7月11日に始まった同中学校の職場体験授業で、ただ一人、見島牛の飼育農家を選んだ。その初日に取材が重なった。

「見島だからできる体験です。貴重な牛について学んで、少しでも広めていけたらいいなと思いました」と頬を赤らめる。

 吉村さんは同県下関市で生まれた。郵便局員だった父の転勤で県内を転々としたが、父が漁師を継ぐため、小学4年生の時に一家で島に戻った。祖父は見島屈指の漁師だ。マグロ釣りで何度も島を訪れた俳優の故松方弘樹さんとは共に海に出た仲間である。

「私は小さい頃から見島に住みたいと思っていました。自然がいっぱいで、皆が家族のようだからです。人がのんびりしているので、私達までのんびりしてきます」。吉村さんは島での生活を満喫している。

牛に餌をやる見島中1年生、吉村真菜子さん(7月11日) ©葉上太郎

 ただし島には高校がなく、中学卒業と同時に島を出なければならない。そうした子の多くが帰らない。戦後は3000人を超えた人口も800人ほどになった。島にある基地に勤務する自衛隊員と家族を除けば実質の島民は600人ほどで、その高齢化率は「7割を超える」(萩市役所見島支所、石川晃正さん)。「だからこそ島の良さを知ってほしいと、本土で実施していた職場体験を今年から島内に移しました」と松本英一教諭(31)は話す。この体験が吉村さんの将来にどんな影響を及ぼすだろうか。

 ところで、絶海の孤島になぜ牛がいるのか。それは見島が古くから大陸交易の中継地だったからだ。和牛のルーツは朝鮮牛とされており、日本海を経て国内に入ってくる途中で、見島にも上陸した。

 しかし、それだけでは牛は居つかない。見島の地形はなだらかで、保肥力に優れた粘土質の土が覆っている。島全体に棚田があるだけでなく、「八町八反」と呼ばれる平地で盛んに耕作が行われてきた。米は今でも本土に出荷している。そうした農耕に牛が必要だったのだ。

 多田さんは「どの農家でも2~3頭は飼っていました。見島牛は尻が小さいので小回りが利きます。胸の筋肉が発達していて力が強く、小走りでどんどん鋤(す)いていきます」と話す。それだけではない。

「賢いのです。水を張って地面が見えなくなった田んぼでも、自分で鋤くルートを見つけます。教えたら掛け声だけで左右に曲がります。何キロメートルも離れた農地に、初めて連れて行った生後1カ月半の子牛が、気づいたら自分で牛舎に帰っていたということもありました」

 だが、農業の機械化で牛の出番はなくなった。市文化財保護課のまとめでは、1955年に559頭いた見島牛は59年、401頭に減った。市は同年、天然記念物再生事業として保護を始めた。67年には多田さんの亡父ら農家が保存会を結成したが、この時には144頭まで減っていた。さらにその後も減少し、75年から4年間は33頭の時代が続いた。以後は少しずつ増えたものの、この25年間は80頭前後と頭打ちだ。目標としてきた100頭を達成できずにいる。

 保護に取り組んでも減少し、なかなか増えないのは、本土の和牛と違って経済動物と位置づけられていないからだろう。本土の和牛は農耕に使われなくなった後も、脂肪交雑が入る肉質が注目され、肉牛として飼い続けられた。「見島牛は特段の工夫をしなくても、本土の和牛以上に美しい交雑が入り、噛めば噛むほど旨みが増します」と、食べたことのある多田さんは言う。だが、増頭が第一の目標なので、肉牛としての出荷は基本的に認められていない。

 例外として、種牛に選ばれず去勢されたオスの子牛と、子を産めないか産めなくなったメスの廃用牛が、年間10頭程度、萩市の業者に出荷されている。でなければ「牛舎がいっぱいになって増頭の目的が達成できず、飼養者の負担になってしまう」(市文化財保護課)からだ。

 種牛と子の産めるメスには飼料代の補助があるものの、農家は年中休みがなく、ほぼ赤字なのが実情だ。

 各農家は少しでも省力化しようと、自前の牛舎のほか、市が整備した2カ所の放牧場でも飼っているが、それでも生き物だけに「緊張の連続です」と多田さんは話す。「放牧場で足を滑らせ、崖の木に引っ掛かっていたこともあります。逆子が生まれたり、病気になったりしても島には獣医がいません。母子で亡くなった例もあります」とうつむく。

 生計のための経済動物なら「死んだら仕方がない」と割り切れるかもしれない。そうでないところに見島牛と農家の特殊な関係がある。