昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

特集
「戦争」を書く 「あのころ」を問い続ける新世代たち

学者とマニア、右と左の「中間領域」から過去を問う 近現代史研究家・辻田真佐憲が「戦争」を書く理由

 戦後72年。かの戦争体験の声が次第に聞けなくなっている今、証言者たちの“孫世代”の中に、声を拾い、研究を深め、表現をする人たちがいる。

 戦争から遠く離れて、今なぜ戦争を書くのか――。

 インタビューシリーズ第2回は近現代史研究家の辻田真佐憲さん。『ふしぎな君が代』『大本営発表』『文部省の研究』など、政治と文化の関係を主軸に研究を展開する辻田さんが考える「戦争を問い続ける」意味とは何か?

辻田真佐憲さん

森友・加計学園問題と『文部省の研究』

――森友学園、加計学園と今年は何かと文部科学省案件の問題が政治を揺さぶっています。そんな中に出版された『文部省の研究』では、国民道徳の規範として「教育勅語」が戦前、戦中、そして戦後どう使われてきたかが一つのテーマになっていて、森友学園問題を予見していたかのような感じさえ持ちました。

辻田 出版のタイミングは全くの偶然です。ただ以前から森友学園は「軍歌を歌わせる幼稚園」を経営しているところとして注意はしていたんです。私は大衆を扇動する文化やプロパガンダに関心があって、軍歌や教育勅語にももちろん興味を持っていたんですが、まさかこの時代に、しかも幼稚園で実際に使われるとは思いもしませんでしたから。危なっかしいなあ、なぜ問題にならないんだろうと不思議に思っていましたが、一気に大問題になりましたね。

――加計学園問題では、文部官僚にも注目が集まりました。

辻田 文部科学省は文部省時代から地味なお役所で、文部官僚個人にスポットが当たるなんて、なかなか想像できなかったと思うんです。ところがここに来て、官邸の圧力を告発した前川喜平前事務次官や、それに対立する形で文部省OBの加戸守行・前愛媛県知事が登場しました。最近だと「ゆとり教育」を推進した寺脇研さんが目立ったくらいでしたよね。あと、少し遡りますがリクルート事件で有罪となった高石邦男元事務次官とか。

――文春オンラインでは辻田さんに「前川前次官もびっくり!? 官僚マニア垂涎の『月刊官界』を知っていますか?」という記事をいただきました。

辻田 あれは『文部省の研究』の資料として読んでいたら、色々と面白いところがたくさんあったので書きました。特にグラビアページがすごいんですよね。めくっても、めくっても、ひたすらスーツの中高年男性ばかり(笑)。

 

「レコードのB面」に注目することでわかること

――それにしても、どうして地味な文部省に注目をされたんでしょうか?

辻田 私の研究テーマは大きく言うと政治と文化の関係なので、明治以降のイデオロギー動員の仕方や、戦時中の思想統制、道徳教育について探るためには文部省の歴史を総ざらいするしかないと。まあ、もともと地味というか、傍流のものに興味があるんですよ。

――レコードのB面みたいな。

辻田 そうですね。たとえば戦争を背景にした近現代史に興味を持つと、陸軍や海軍といった軍事のほうに行きがちで、陸軍を研究するにしても参謀本部の作戦部や情報部が注目されやすい。でも私は同じ陸海軍でもマイナーな報道部のほうに注目したかった。『大本営発表』では報道部の軍官僚が、音楽家や作家とどんなコミュニケーションをして文化を政治に取り込んでいったのか、軍をどうアピールしようとしていたのか、その「思想戦」「文化戦」の過程を追いました。今後も太平洋戦争の作戦面を研究するような“主流”に手をつけることはないでしょうね。

昭和5(1930)年、教育勅語発布40年式典で旗行列する私立高女の生徒たち ©共同通信社

――傍流だからこそ見えてくる本質とは、どんなものだと思いますか?

辻田 国民を国家プロジェクトに巻き込んで行くプロパガンダの鉄則は「自然に、知らず知らず、水が染み込むように」。戦時中なら、まさに軍歌といった音楽や映画、そしてまさに「大本営発表」という誇大報道によって、人々を戦争という国家プロジェクトに動員したわけです。文部省が「理想的な日本人像」として提示した『国体の本義』『臣民の道』や「教育勅語」の強調も国民精神を動員するための道筋です。こうして作られた全体的なムードの中で、個人がどう動いていくか、どうやって熱狂的になっていくか、異論が言えなくなっていくかを歴史的に知っておくことは、今重要だと思います。

はてなブックマークに追加