文春オンライン
学者とマニア、右と左の「中間領域」から過去を問う 近現代史研究家・辻田真佐憲が「戦争」を書く理由

学者とマニア、右と左の「中間領域」から過去を問う 近現代史研究家・辻田真佐憲が「戦争」を書く理由

note

東京オリンピックと「日本スゴイ」過熱の懸念

――現在だと、どういう動きに注意すべきだと思いますか?

辻田 2020年東京オリンピックへの動きですね。国家目標のようになっていますから、知らず知らず意識していないのに、「日本スゴイ」「日本選手スゴイ」「なんで一緒に応援しないのか」「日本人ではないのか」と、変に盛り上がりかねないと思います。

 

――オリンピックについては、批判の声も強い印象がありますが、どう感じていますか?

ADVERTISEMENT

辻田 新国立競技場建設に携わっていた建設会社社員が過労を原因として自殺した問題を発端として、ネット上での批判の声は高まっている印象は持っています。選手村に作る施設用に木材を無償提供させる案にも批判がありましたよね。ただ、ネット世論というのは変わりやすい。いざ五輪が開催されて、そこにアニメ好きのマラソン選手が登場したりすると、一気に熱狂して応援するようなことは起こりえます(たとえば箱根駅伝のときのように)。ネット空間は、オタク系のコンテンツが紐付けば、今まで批判していたものがコロッと変わるところがある。それは文化を通した動員になりえますし、ひいてはナショナリズムの文脈に絡め取られる危険性もあるかもしれません。

――1964年の東京五輪でも同じようなことはあったんでしょうか?

辻田 NHKが64年の1月に行った世論調査の数字があるんです。「五輪開催に費用をかけるくらいなら、今の日本でしなければならないことは他にたくさんあるはずだ」に「賛成」と回答した人が58.9%。これはかなりの「しらけムード」だったと思えるんですが、それでも開催されるとメディア総動員で日本は盛り上がった。ちなみに石原慎太郎も開催前は結構批判的だったんですよ。「ナショナリズムはよくない。国際交流だから日本人以外にも注目すべきだ」みたいな、今じゃ信じられないようなことを言っているんですが(笑)、五輪が始まったら「日本人選手が負けたことが悔しい」とか、やっぱり日本人寄りになる。

 もちろんスポーツで感動することは何の問題もありません。ただ、知らず知らずに何かが変わり始めているぞ、ということには自覚的になったほうがいいと思うんです。空気というものは、一気に変わりうるものです。

昭和39(1964)年の東京五輪、日本選手団の入場行進 ©文藝春秋

百人一首に反発をおぼえて、軍歌のほうに……

――ところで、辻田さんの最初の著作は『世界軍歌全集』という大著です。戦争文化というものへの関心がどう生まれていったのか、聞かせてください。

辻田 この本は大学生の時に、暇つぶしでやっていたウェブサイトがもとになっているんです。他の軍歌サイトの更新が止まっていたりして、反応がよかったんですよ。あと、語学の練習にも適していたんです。

――語学の練習ですか?

辻田 軍歌の歌詞って単純なんです、どこの国も。英語でいうとだいたい200ワードくらい。しかも同じような単語を使いまわしているので、各言語の名詞と動詞と副詞を……と辞書と首っ引きで調べて、あとは格変化などの文法を把握すれば、パズルみたいに翻訳できるんです。

――とはいえ、そうそうできるものではないでしょう。

辻田 いえいえ、遊びですから。大学の比較文学の講義でやった翻訳史が面白かったんです。『新体詩抄』や『海潮音』など、日本人が西洋詩をどうやって日本の調べにしていったのかという。この翻訳の方法を軍歌に応用してみようっていうだけのことでして……。本には300作品くらい載せていますが、結局サイトでは1000作品くらい翻訳したと思います。軍歌自体は世界に万単位ありますが。

 

――大学では歴史を専攻されていたんですか?

辻田 いえ、哲学専攻で卒論はデカルトでした。語学はドイツ語、フランス語のほか、ラテン語や古典ギリシャ語もかじったんですが、調子に乗って色々やりすぎたんでしょうね。全部中途半端に終わってしまいました。興味が散漫な人間なんです……。

――哲学だと軍歌と接点がなさそうですよね……。辻田さんと軍歌の出会いは一体何だったんですか?

辻田 中学生時代まで遡る話なんです。ゲーマーだったんですが、ドラクエみたいなRPGや、『提督の決断』『信長の野望』といったシミュレーションゲームを色々とやっているうちにミリタリーという分野を知るわけです。そこで軍歌というものがあるらしいと知った。一方で、中2くらいですかね、国語で百人一首を覚えさせられたんですが、恋愛話ばっかりじゃないですか、歌の内容が。どうも中2男子には現実味がなくて、空疎なものに思えて(笑)。その反発もあったんでしょう、百人一首とは対極にある軍歌に興味を持ち始めたんです。

――当時だと、ネットで検索して聴く感じでもないですよね。

辻田 レコードショップに行って買いました。軍歌って、純邦楽っていうジャンルの棚の演歌コーナーのさらに奥の隅っこに5枚くらい並んでいるような世界。

――まるで隠しているかのような……。

辻田 そうなんですよね。いろんなレコード屋でCDを買ってきて、プレイステーションで再生して聴いてみる。

――ああ、時代を感じます。

辻田 中高はミッション校だったので日教組の教師こそいなかったんですが、やはり「戦争に興味持っているイコール右翼」という頭の人がけっこういたんです。だから、学校ではかなり批判されましたよ。怒られると、こっちは知識があるもんだから反論しちゃうんです。そうなるとますます対立は深まっていくばかり。まあ、確かに私も偏った面はあったのかもしれないですけどね(笑)。

手にしているのは名古屋市美術館で開催された「異郷のモダニズム 満洲写真全史」展の図録