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学者とマニア、右と左の「中間領域」から過去を問う 近現代史研究家・辻田真佐憲が「戦争」を書く理由

学者とマニア、右と左の「中間領域」から過去を問う 近現代史研究家・辻田真佐憲が「戦争」を書く理由

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在野で研究することの大きな意味とは

――軍歌が原点にあって戦争文化の研究に進まれるわけですが、研究の方法はどんなものなのですか? やはり、まずは取り組むテーマの文献に当たり尽くすところから?

辻田 そうなのですが、いきなりその当時の一次資料を見るのは危険なんです。マニアの人がやりがちなんですが、古書店やネットオークションで見つけた誰も持っていない文書や写真を「神扱い」してしまうのは危ない。たまに偽物もあるし、嘘が書いてあったりもします。だから、まずは先行研究批判がされている2000年以降の研究書を読んで、巻末にある参考文献などを片っ端から見ていくという感じです。そこから、大体の感覚をつかんで、必要と思った資料を丁寧に読み込んでいく。

文藝春秋の資料室にて

――辻田さんは大学に所属せず、在野の研究者として活躍されています。この立場のいいところは何ですか?

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辻田 私は大学院に2年いて、そのあと公務員として3年半くらい勤めていたんです。そこで分かったことは、自分は徒弟制やタテ社会の人間関係が嫌いなんだな、ということ。組織というのは多かれ少なかれ、そういうものから逃れられないわけですが、ことアカデミズムの世界は専門外のことには口出ししにくいとか、内部のルールがどうとか、人間関係とか、制約が多いんです。私はさっき言ったように興味の対象が広いものですから、自由に手を出せるというのは大きいですね。それから、最近は中間領域にいる人がいないので、そこは意識的に自分の立ち位置としたいと思っています。

――中間領域とはどういうことですか?

辻田 アカデミズムの専門家と歴史軍事マニアの中間、ということです。昔だと、作家がこの中間領域にいて一般読者に知識を届けていたと思うんです。ところが今はそこが空洞化してしまっていて、たとえば「教育勅語」一つとっても生硬な学者の論文か、「教育勅語を読めば社会問題が解決する」みたいなトンデモ本かに二極化してしまっている。そこを埋めなければと思って、自分なりに言葉を探しながらものを書いています。

――ということは、文章の語り口にはいつも工夫をされているのでしょうね。

辻田 今だと、特にネットはすぐに右っぽい語り口、左っぽい語り口に分かれてしまう。だから片方の立場に乗っちゃえば楽なんですけど、そこからいかに逃れるか、第三の道を作るか、いつも念頭に置いています。もちろん人は完全な中立になんかなれませんが、できるだけバランスを取ろうと意識しています。仲間内で盛り上がるだけの言葉を紡いでも意味がないですからね。

戦中の新聞縮刷版を読む辻田さん。「やはりみなさん、昭和16年12月8日の紙面をめくるのか、破れちゃってますね」

――そういった意味で、辻田さんは右と左の中間領域にいようとしているわけですね。

辻田 党派やグループに入って、一方を批判するのは嫌ですから。だから、アカデミズムからもマニアからもズレた場所にいたいし、右からも左からも引いた立場でありたいと思っています。

みんながいいと思っていることを掘り崩していく

――辻田さんが研究者になる上で影響を受けた一冊を挙げるとすれば何ですか?

辻田 そうですね……、高校の時にニーチェの『道徳の系譜学』という本が好きで、結構影響を受けているかもしれません。

――どんなところにでしょうか?

辻田 この本はキリスト教道徳批判なわけです。隣人愛と呼ばれるものはそんな立派なものじゃなく、元々弱者が自分たちを守ろうと作ったもので、要は我々弱者を大切にせよという意味なんだと。起源をたどっていってキリスト教道徳の欺瞞を暴くいやらしい本なんですけど、こういう話、好きなんですよね(笑)。

――ミッション校なのに(笑)。

辻田 みんながいいと思っていることを掘り崩していくようなこの本は、今の私の研究の仕方と底流でつながっているのかもしれませんね。

――「みんながいい」と思っているもの、作為的に作られたものへの違和感とか抵抗感が強いんでしょうね。

辻田 プロパガンダ文化に興味を持つのは、そういう感度があるからだと思います。ただ、「みんなで」というものに巻き込まれるのは本当に嫌で、集団行動とか、学校の全体集会とか、気持ち悪くてどうもダメでしたね。もちろん運動会、特に組体操とか大嫌いでした(笑)。

――そういう一歩引いた立場と論点で、歴史を考え続けることの意味とは何だと思いますか?

辻田 人間って同じことをだいたい繰り返すものなんです。だから、歴史的にどんなことがあったかを振り返っておくことは、何かが起きたときに冷めた目で見る、立ち止まるために必要だと思っています。戦後しばらくは、国が文化を動員することは下品だという風潮があったのですが、最近になって東京五輪や「クールジャパン戦略」など、再び政治と文化が絡み合おうとしている雰囲気があります。次なる動員に向かって、いよいよ冷却材が捨て始められているような感じ。でも、人間は目の前の熱狂に絡め取られたときが一番怖いんです。ですから、私なりの中間領域から「この流れは危ないぞ」と、各方面に石を投げ続けていかなければと思っているところです。

 

つじた・まさのり/1984年生まれ。近現代史研究者。大阪府出身。慶應義塾大学文学部卒業。著書に『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)など。最新刊に『文部省の研究 「理想の日本人像」を求めた百五十年』(文春新書)。

写真=鈴木七絵/文藝春秋

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