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「決闘で勝ったほうが正しい」時代から「戦争と法」はどう進歩したのか

カミュ『正義の人びと』が指し示す 戦争の道徳的ディレンマ

2020/07/31
note

戦争の全否定はキリスト教思想のごく一部

――200年以上も前に、そんなラディカルな提言がなされていたことに驚きます。戦争をめぐるさまざまな法的議論が本書で取り上げられていますが、ひとつ興味深かったのが、4-5世紀にアウグスティヌスのような神学者が「正戦論」を唱えていた点です。

長谷部 キリスト教というと、いわゆるパシフィズム、平和主義のイメージを日本人は持っています。でも、戦争は絶対に反対というのはキリスト教思想のごく一部です。個人レベルでそういう信念を持つ人もいますが、じつはアウグスティヌスの「正戦論」の考え方のほうが多数派です。キリスト教の歴史は、ご存じのように十字軍をイスラム世界に仕掛けたりしていて、戦争とも関係が深い。

 正戦論は端的にいうと、「正しい根拠、正当な原因がなければ戦争をしてはいけない」というものです。また、正当な根拠があって始めた戦争であっても、戦争遂行行為としてできることにおのずと限界があるというのが基本的な考え方です。では、なにが正当な原因になるのか、どこまでの戦争遂行行為が許されるのかには、黒か白かという明確な形で決まる絶対的な規則があるわけではない。いろいろな考慮要素をひとつひとつチェックして総合的に許されるものかどうか、いわば「チェックリスト方式」で考えるというのがアウグスティヌスの主張です。

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 絶対的な規則をもうけずに「チェックリスト方式」で総合判断するというのは、日本の最高裁もたとえば、憲法上の基本権の制約が許されるかどうかの判断をするときによく行っています。政府の行為はどういう公益を実現しようとしているのか、その公益にはどれだけの必要性があるのか、政府がとる行為と公益とのあいだにどれほどの合理的関連性があるのか、得られる利益と失われる利益のバランスはとれているか、いろいろな論点を総合して正当性の有無を判断するわけです。

 私自身は最高裁がこの方法を頻繁に使うことについては批判的ですが、こと戦争遂行という話になると、こうなったら必ずこうだという硬直的な判断基準は使わないほうがいいと思っています。考慮すべきさまざまな要素をひとつひとつチェックして総合的に許されるものかどうか考える、そういう柔軟な判断を取ったほうがいいというのがアウグスティヌスの考え方です。

©山元茂樹/文藝春秋

――それは現代のさまざまな政治的判断にさいしても採用されているのでしょうか。

長谷部 その通りです。「二重効果理論」(doctrine of double effect)という考え方もアウグスティヌスの話と共通するところがあります。ある正当な目的を実現するために不可欠な手段を取ると、その目的は実現できるかもしれないが、望ましくない結果も同時に生じる――それは許されるのだろうかという議論です。例えばトマス・アクィナスが具体的に議論しているのは正当防衛に関してです。

 危害を与えてくる人間がいるとき自分の命を守るため、必要な限りで実力を行使します。すると結果として相手も傷つく、つまりdouble effectが起こります。でも望ましくないことが起きるからといってこの場合、絶対にやり返すなとは言えない。

 これは、絶対平和主義にこだわるわけにはいかないという大前提から出発しています。ではそのとき何をやってもいいのかというと、そうではない。結果においてバランスが取れるような必要最小限の実力行使を考えないといけないわけです。