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「決闘で勝ったほうが正しい」時代から「戦争と法」はどう進歩したのか

カミュ『正義の人びと』が指し示す 戦争の道徳的ディレンマ

2020/07/31

 アフガニスタン戦争、クルド対トルコ戦争、シリア内戦……現在もなお世界各地で紛争が続くなか、憲法学の第一人者・長谷部恭男が初の戦争論となる『戦争と法』を上梓した。数年前、与党推薦の参考人として招聘されるも、安保法案を憲法違反と国会で明言したことが大きな話題になった長谷部教授だが、歴史的な視座から戦争と法を読み解く大切さについて語った。

長谷部恭男さん ©山元茂樹/文藝春秋

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国家という枠組みは、私たちの頭の中にしかない“こしらえごと”

――戦争を論じるうえでなぜ法の視点が重要なのでしょうか。

長谷部 憲法と戦争とのあいだには切っても切れない関連があるからです。戦争は基本的には国家と国家の戦いですが、じつは国家という枠組みは突き詰めていくと、私たちの頭の中にしかない“こしらえごと”です。そのこしらえごとの核心にあるのが憲法です。

 その本質を鋭く指摘したのがジャン=ジャック・ルソーです。ルソーの「社会契約論」は国家を設立する契約について論じたものですが、志を同じくする人が同じ条項を守ることに同意して新しい共同体を立ち上げる――そういう社会契約によって国家は出来上がります。ところが、国家の設立によって最低限、人々が平和な社会生活を送れる基盤を整えたはずが、国家と国家は依然として自然状態にあるので、人々は大規模な殺し合いを始めてしまう。それが戦争です。

 ルソーはこうした事態を解決するためのアイデアをいくつか提案しています。ひとつは、後にカントが『永遠平和のために』にも取り入れているもので、すべての国家が共和制になること。現代流に言うと「民主主義」の体制をとるということですね。そうすれば、国民の意思と無関係に政府が戦争を始めることはできなくなります。

 2つ目は、すべての国は市民が武装することで防衛をする。常備軍というのは政府の利益は守るかもしれないが市民の利益は守ってくれないかもしれないので、民兵組織で防衛をするという方法。すべての国が共和制国家になり、かつ防衛は市民が自ら担う、そういう体制が整えば世界はだんだんと平和になっていくだろう、というビジョンです。

 3つ目は集団的安全保障です。現代の国連のモデルとなった考え方で、これも『エミール』でルソーが示したことです。

ベルリンの壁崩壊後、冷戦の終結はなぜ訪れたのか?

戦争と法」(文藝春秋)

――安全保障をめぐるさまざまな考え方のルーツがルソーにあるんですね。

長谷部 そうです。実はもうひとつ、ルソーはとても面白いアイデアを提示しているんです。そもそも社会契約を締結して国家を設立したのは、自分たちの生命と財産を守って平和な社会生活を送りたいからです。ですから、国家と国家による苛烈な戦いで自分たちの命がかえって危なくなってしまった場合には、自分たちの社会契約、つまり憲法を放棄してしまえばいいと。

 社会契約が根本的に異なるからこそ国同士の戦争が始まるというのがルソーの分析です。現代の歴史でいうなら、なぜアメリカは第二次大戦の終わりに日本に政治体制を変えろ、憲法原理を変えろと要求したのか? ベルリンの壁崩壊後の冷戦の終結はなぜ訪れたのか? 日本は大日本帝国憲法を棄て、ソ連をはじめとする東欧諸国も共産主義体制を放棄して、議会制民主主義国家になることを受け入れることで、戦争が終結したわけです。20世紀史を見ると、ルソーの予言が現実化していることがよく分かります。

 ルソーはもともとスイスのジュネーブ生まれですが、政府と教会の弾圧を受けて各地を転々とし、故国を失った人として生きた哲学者なので、国というものを外側から客観的に見る視点が貫かれているんですね。