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コロナ禍で世界が経験していることは「過去に起きたことの繰り返し」だった

三浦瑠麗が『人類と病』(詫摩佳代 著)を読む

2020/06/19
『人類と病 国際政治から見る感染症と健康格差』(詫摩佳代 著)中公新書

 2020年初頭、武漢で新型コロナウイルスの感染爆発が報じられた。米国とイランが一触即発の状況をようやく回避した頃だった。新型コロナウイルスがパンデミック化すると、それまでの国際紛争は脇に追いやられた。「コロナ時代」の人類は無力であり、権力政治では語りきれない新たな脅威が生じているという論調を目にするようになった。

 本当にそうだろうか。ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックはかつて、チェルノブイリ原発事故を前にして新しいリスクに目を向け、冷戦という枠組みの有効性に疑念を呈した。確かに事故は部分的に国際協力を加速したが、冷戦を無力化するには至らなかった。疫病などの新たなリスクは国際政治に大きな影響を与える。だが、疫病との闘いもまた国際政治の力学に従属するということだ。

 今回の新型コロナウイルス禍ではWHOの対応が不信を呼び、テドロス事務局長が中国に忖度しすぎているのではないか、グローバル・ヘルスに国際政治を持ち込んで台湾を排除するようなことが許されるのか、と厳しい批判が集まった。国際機関に対する信頼が低下するとともに、米中のライバル関係が新型コロナウイルス禍そのものの脅威を凌駕しつつある。新型コロナウイルス禍が起こらなければ、ここまで決定的に米中対立は加速しなかっただろう。その意味で、パンデミックは歴史の転換点として記憶されるだろう。

 本書を著した詫摩氏は、グローバル・ヘルスと国際政治の分野を専門とする研究者だ。人類と病との闘いに影響を与えてきた様々なアクターの利害関係を読み解き、保健医療という専門領域を超えた政治の作用と課題を洗い出してくれる。

 本書を読んでいくと、まず新型コロナウイルス禍にあたって世界が経験したことが驚くほど過去に起きたことの繰り返しであることがわかる。隔離と閉鎖による極限状態はヒステリーをもたらし、抗議や暴動も沸き起こる。国際協力が必要なときに各国政治の利害が優先される現実も同じだ。

 病と闘う人類という観点から描かれる歴史は興味深い。戦争と疫病が同時進行し、人為的な営みによる悲劇と疫病による悲劇とが各国を不十分ながらも国際協力に押しやる構造も見えてくる。WHOはその時々の国際政治の力学に従属しつつ、関係国を巻き込んで協力の強化を図ってきた。人類は天然痘との闘いに勝利し、ポリオ根絶まであと一歩だ。一方で製薬会社の利益や各国内の不安定さが闘いの阻害要因となっている。

 本書は、WHOに中立性を過度に期待しすぎるのは危険だとはっきり述べている。しかし、人類が地球の運命共同体であることには変わりはない。現実政治の限界を認識しながら、健康のための人びとのグローバルな活動を忠実に描きだす本書の眼差しは、理性と情熱に満ちている。

たくまかよ/1981年、広島県生まれ。東京都立大学法学政治学研究科教授。専門は国際政治。著書に『国際政治のなかの国際保健事業』(安田佳代名義)『新しい地政学』(共著)がある。
 

みうらるり/1980年、神奈川県生まれ。国際政治学者。著書に『私の考え』『孤独の意味も、女であることの味わいも』など。

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